見えない世界の不思議についてひたすら綴ります

ヤマトタケルノミコト
一歩、踏み出せば見えるものも変わる
一歩、踏み出せば考えも変わる

また一歩、また一歩とその繰り返しが
いつしか大きな力となり己を変える

大きく変えようと思うな…
人の心には大きな負荷を知らずと受け入れるのを
やめることがある

己を守るために、いつしか不可能であるという判断をする

だが、一歩ならできるだろう

一歩、一歩とつづけてゆくうちに世界は変わる
そうやって着実に己を研ぎ澄ますうち
変えてきた事柄が自身への信頼を培い
力となる。

心を決めたら取り掛かるものは
まずほんの一歩でよいのだ…

ヤマトタケルノミコト
あくる日も、あくる日もまた昨日の続きなどではない
日が落ちると共に死
あくるとともに生まれ
人の魂はその都度生まれ変わるといっても良い

毎日が新しい日であり、毎日こそが1つの人生の縮図とするならば
その日一日の貴重さがとくと理解できるであろう

人の心は過去に赴きやすい…
すでに起こったことを反復し、
そこから抜け出られなくなる

先を見据えることのできる者は、自身の中に確固たる
先々の希望や展望を見えているからこそだ

今の世に必要なのは想像力よ
この先の己を想像し、無限の可能性を意思として形成してゆくのじゃ…
心が枯れてしまっては想像力も働かぬ

まして、毎日を繰り返しとして生きるなら
なおさらじゃ…

想像し、この先に何があるのかと考える
地に足のついた想像の延長が意思となり
いずれ取捨選択を積み重ねながら現実となってゆく

想像力を己の内に留め、
使いこなせば良いと申す

ヤマトタケルノミコト
日、出づるところに人なくば、歴史も何も残らぬ
連綿として人が受け継いできた思いが歴史を残し
世を残した

その時その時、自身が心に宿した大切なものを守ること
それはいずれ多くの者たちが守りぬいてきたものと
重ね重なり、一つの動脈となる

動脈が血を通わせ、世に息を吹き込むのならば
血の通った者同士、助け合って物事を成せるはずである

1つだけでよかろう
自身がこの1つの生の中で特に守りぬくと決めたものは何か

世か、仕組みか、信念か、人か
1つだけでよい、決めておくがよい

それだけをひたすら守り
自身にとっての結果とするのだ

生ある身には想像のつかぬこと多かれど
いつしかその1つの価値が分かる

人の心は移ろうが、最後まで成し遂げた貴重なものを
1つだけ持ち続けるならば
それは宝となるものぞ…

ニギハヤヒノミコト
転機を迎える人の心には、多くの多くの感情がよぎる
理由なく様々な感情が降っては湧き、降っては湧き
過ぎ去る雲のように
心を鎮めることなく、あらゆる想いを呼び起こす…

過去の想いや記憶すらも引っ張り出し、
忘れていた記憶と向き合うことになろう
それは全て水が流れるように、風に雲が流れるされるように
ただ過ぎ去るのを待てばよい

古い檻から解放されて、新しい自分を解放するために起こる感情の噴出…
それがそのような形となって現れる

ひとしきりの噴出がすめば、心は思いの外軽くなるだろう

軽くなり、いらないものを捨て去れば、
最後に残った価値あるものが見えてくる

古い感情に隠され、
日の目をみることのなかった貴重な存在が露わになるにつれ
人はその道の方向性を失うことはく、まっすぐに定めることができるだろう

大きな転機を迎える人間にとって、静かさの前に
嵐が全ての穢れを一掃するようなものだろう

その嵐をじっくり、静かにやり過ごし
時が来るまで己自身の中の価値観について、内観を進めてゆく
そのような時となる

やれやれと思わざるを得ないぐらいに、時に人は迷い
苦悩し、間違えもする

だが、だが、それでもこの先、人らが織りなす世の行く末を
我らは見放なすことなく信じようとしているのだ…

人の子らの一人ひとりが自身の力で輝けば
その分、全体の輝きも増すようにな

このことを皆が、心に留め置いてくれるとするならば
早く早く物事も進むであろうに…

ニギハヤヒノミコト
陽の明かりは何を照らすか、心か、目に映るものか…

人は目に映るものだけを真実と思おうとする
その見方がいかに一方的なものであっても
映るものを己の見方で定義付け、真実として蓄積してゆく

それが真実であるか、否か
偏ったものの見方の産物ではなかったか
答えを知るには心しかないだろう

どんなに偽っても、心の奥底にはその正しい目が宿る
感情で上塗りされた意思で真実を捻じ曲げても
その者にも周りの者にも違和感はぬぐいきれない

なぜなら真実の姿とは、何を超えても正しくあり続けるからだ
正しく在り続ける存在に、いかに批判を浴びせようとも
人の心のどこかで、違和感を生じさせ
その真実を問い直させる

正しく在るというのは大抵なことではない
正しく在り続けること、それこそが
人や誰かに自らの姿を一方的に批判され続け、
嘘偽りの言葉で定義づけられたとしても
必ずその姿は証明される

正しく在り続けるという意思そのものを持って生きるならば
そのものの過去の過ちが何であろう

正しいという存在は、その意思を持つ

生きているか否かではないのだ
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