見えない世界の不思議についてひたすら綴ります

ニギハヤヒノミコト
陽の明かりは何を照らすか、心か、目に映るものか…

人は目に映るものだけを真実と思おうとする
その見方がいかに一方的なものであっても
映るものを己の見方で定義付け、真実として蓄積してゆく

それが真実であるか、否か
偏ったものの見方の産物ではなかったか
答えを知るには心しかないだろう

どんなに偽っても、心の奥底にはその正しい目が宿る
感情で上塗りされた意思で真実を捻じ曲げても
その者にも周りの者にも違和感はぬぐいきれない

なぜなら真実の姿とは、何を超えても正しくあり続けるからだ
正しく在り続ける存在に、いかに批判を浴びせようとも
人の心のどこかで、違和感を生じさせ
その真実を問い直させる

正しく在るというのは大抵なことではない
正しく在り続けること、それこそが
人や誰かに自らの姿を一方的に批判され続け、
嘘偽りの言葉で定義づけられたとしても
必ずその姿は証明される

正しく在り続けるという意思そのものを持って生きるならば
そのものの過去の過ちが何であろう

正しいという存在は、その意思を持つ

生きているか否かではないのだ

ニギハヤヒノミコト
神々の現世、それを現世と申すならば
我らも人も常に等しく、同じであるな…

さよう、神々の世も多くの事柄があり
多くのことが動き、行われる
そしてその現象が現世へと現れるとき
そこに神々の真意を見出せるものは多くはなく
右往左往しながらも、
人は人として精一杯生きる手段を探す
それでよいと思うのだ…

人が人らしく生きることを選ぶとき、
神々にどんな伺いを立てるというのだろうか…
大事なのはます生きることを選ぶことじゃ…

その精一杯の姿を見て、我らは手を貸し見守るもの
世のあらゆるものと等しく、人もそう見えるものだ

頭に知識を詰め込みすぎ、神々のことを考えつづけるより
一旦、ありのままの生きる道に精一杯になればよい
うまくいかず、神々に祈り続けた事柄も
すぐに答えが見つかるやもしれぬな

精一杯に、与えられた命を大切に使い切るうちに
己の生きる中にこそ、神々の存在を感じるものだ

あらゆる事象の中に常にあるのだから

その時、我らの世界は自然に扉を開け
人を迎える

そうじゃ、頭で考えるより
今、与えられているものを大切にしてほしいものよ…

その尊さを知り尽くせばいかに人が精妙で
奇跡のような可能性で在り続けているか
それに気づくだろう

生きること、そのものなくして
その道を通さずして何を見んとするのかと問うぞ…

ニギハヤヒノミコト
人の世では戸惑う
戸惑う心の中には何があるか
己の弱さか、信念か…それがはっきりと見えずして戸惑ううちは
事態が進展することはない…
戸惑いの表すものは何であろうか
ひとりひとり異なるものであろう

心が揺れ、足を止めて考えようとするその戸惑いよ
考えから脱却し、答えを導きだせていない様そのものだ

日頃から一つひとつのことについて観察し
その理、全体を見るようにする訓練を積むことじゃ

全体を見れば些細なことで足も心も止まらぬ
広い世界の一画として、それら全体を見据えることができる
戸惑わずにいられる者の視野は広い

考えも深く、思慮に満ち、それらが支えとなり
些細なことで足を止めぬようにその者の全体を支える

そうすることが何故良いのかと問われるならば
こう答えようぞ…

広い視野を持とうとする、その意思、その試み自体が
人の持つ本性だからであると

人が簡単に言う「魂の高み」とは何ぞや?
真実を知り、口にする者は少ない
広い視野を持ち、あらゆる者を平等として眺むれば
己の小ささも己の大きさも自ずと知れることだろう

その感覚を育てることじゃ…

ニギハヤヒノミコト
人と世が共に在り、1つであり、共にあってこその世界として
渾然一体となり、発展してきたという事実こそ
人の本質を語るものやもしれぬ

人と人も、人と神も、人と世も、皆区切りなく
互いが互いに等しい価値を認め共にあった頃と
今の世ではなにが決定的に違うのか

人の心の中にできていったその時々の価値観は
人と人を比較し、欲も生み、神と分離し、世を統制しようとした
そこから人もまた独自の道を歩き出したといえような…

本質とはなにか…
どうして魂はあり、肉の体をまとうのか…
魂とはそもそも何だったのか…

今、目の前にあるものが当たり前のように存在してはいないとしたら
何が在ると思わせているのか
人の意識よ

意識を深く考え、意識を観察し
自身の意識を整え続けることで、新しい見地に立てる
世の中は同じようには見えぬぞ…

ニギハヤヒノミコト
人の心の中にはいくつかの自分がいるだろう

理性や魂がかくあるべしと思うて、その姿を辿ろうとしても
必ずその通りに動けるわけではないものだ

これまでの道のりで得た経験
深く深く心に染み込んだ経験が、その都度別の己を表出させ
その通りにうごくことで我が身にやってくるかもしれぬ可能性を
回避しようとする

その回避こそが、人の本能ならば
理性が勝ち得るはずもなく
人は同じ失敗を繰り返すのだ

人が生きるものである以上、動物としての本能もそこにはある
魂がささやく理性を生かして生きることもできる

いずれにしても、そのどちらかに傾いた生き方を
これまでの人生のどこかで必ず目にしているだろう

その姿を見て、自身で考えるがよい
もしも自分がこうだったら、
もしも自分がこう生きていたら…

その姿を心に焼き付けることで
間違った選択の一歩手前で、己を留めることができる

間違ってもよいのだ
都度、見直し考え、見直し考えて
少しずつわずかづつでも己自身を高める努力を止めなかれば良いのだ

それが光の当たる道、光の見える道だ

心の納めた自分の姿えお思い返し、その道を進むと良い…
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