見えない世界の不思議についてひたすら綴ります

大国主命
はっはっは

さてさて、ようやっと一括りの時が終わり
現世の人々の心にも落ち着きがでたことだろう

この流れの中で、心に神やあまたの善なる存在を認め、宿し
受け入れ、共に在ろうとするもの
いっときの流れとして楽しんだ者、
いっときの流れとして金銭を得た者、
全く関心なく、神々を知らずに生きることを選んだもの

様々じゃな
いっときの流れが世の中に現出するのには
必ず理由がある
現世に働きかける力と理由なくして、大きな流れにはなるまい
ではなぜ、あの流れが必要だったのか

勘の良い者はとうに知っているだろうな
篩とはそのことであると、すぐに理解しえただろうが
魂や精神的なものに価値を置くこと
その価値を大切にすること、篩はこれだけじゃ

なになに、あの流れの中で精神的なものの価値を唱えながらも
現世の金銭に執着する者もあれば
流れを嫌いながらも反発の中で己の中の魂に気づいた者もある
大きな実験であったと、そう申してもよかろうな

はっはっは

そうじゃ、篩は篩、流れは流れ
流れの終焉は物事が決まったことから、必要でなくなったことを示すまでよ

この10年の間に、心の価値観をどこに置いたか
個々人で答えは出ているぞ

はっはっは

大国主命
はっはっは


人は己の見ている通りとは限らぬ

落ち着いて、不足なく、笑う人々
自らだけが何と違うことか…
自身は彼らの中にはおらず、低俗で不満の多い下賎な人間なのではないか、と
時に思い悩むかもしれぬ

多くの人が思い当たるということは、だ
そうよ、人が見る誰かの本心はその者の中にしかないということよ

誰かが見た自身も同じく、
わずかな側面を個として認識しているだけに過ぎぬのだ
己と他人と分けるために
一人ひとりに意識的に「このような人間である」と定義づけて覚えようとする
意識、無意識でいずれでも構わぬ

区別のために行われるようになった、他者からの個性の定義づけ
これが、個人として心の中で葛藤を生んでしまう

皆、心の中にはおびただしい感情を抱える
抱えるのが人じゃ
無くしてしまおうなどとは虫のいい話じゃ

感情なくして、人は子を成せぬぐらいだぞ?
そもそも感情は在って当然のものよ

恨みつらみ、悲しみ、苦しみ、
人の心の中には必ずあるのだ
どうしてなかったことにできるというのだ

その思いを棄てることはできぬ、人ならばな

ならば人として、立派であり、自らに恥ずかしくない心で生きればよいのだ

己だけが心が穢れていると思うと、苦しくなるぞ…


はっはっは

大国主命
人はな、思う通りにいかぬことも、
思う通りに生きることも叶わぬことがある
全て思いのままであったなら、この現世は夢幻じゃ

夢幻に一体、何の意味があろう

苦悩は人を強くし、人を大きくするがしかし、
大きすぎれば心を病んでしまう

皆、等しく同じ立場としてこの現世にあるものだ
人は人、己は己として、今の自身に与えれているものに注視し
そこがなかったら、と考えてみれば良い

そうだ、
価値あるものを何ひとつ持たぬものなどおらぬ

人は当たり前すぎて気が付かぬだけで
多くのものを持ち、それを空気のように感じて生きているだけじゃ

今あるものの価値を知り、己の手駒を見極めたら
次にできる一歩、今できる一歩と歩を進めることよ

最初から、終いの点までずっと見ているとな
途方に暮れてしまうだろう

一歩、また一歩、その一歩の確かさ
一歩の重みは
いずれ結果が出た日に深々と感じることになるものだ

はっはっは

そうであろう、人の子らよ

大国主命
自身の希望じゃな…

人の心にはまず、希望があり、展望を持たねばならぬ
そこから全ては始まるものじゃ

だが人は否定したがる

その希望はこうだからこうである
こうだからできぬとすぐに言いたがる

それが可能性を摘み取ってしまうのじゃ

希望を持ち続けることはさよう、困難なこともある

だれにでも当たり前のように存在するものではなく
己自身を鍛錬し、心を見つめてこそ
いつもそこに在れるものだ

希望は標となり人の道をいざなう
夢ぐらいでは到底到底はかなすぎる

だが、希望が生まれたとき
人は驚異的にやりきり、生を頑張れるものじゃ

その希望の正体とは何か
考えたことはあるか?

希望とはあくまで特別なものよ

どこから生まれ、どこで育つのか、正体は何か
考えてみれば分かるだろう

人生の標となる希望

希望の正体とは何ぞや…


はっはっは…
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