見えない世界の不思議についてひたすら綴ります

邇邇芸命
はっはっは…

人一人が生きる様をみていると、どうにもこうにも広い視野を忘れているように見えるぞ
目前の問題に心を占められすぎると、
その先にある展望も全体像も見えなくなる

かといって、あまりに隔たりすぎれば浮世ではそれこそ
浮足立って生きる者にしか見えぬものぞ

中ほどの道に、己に囚われすぎず、全体を見
その中で己の為すことに力を注げるかに尽きるのだ

己にこだわりすぎたものは
他者を許せなくなる
他人あって、己があることを忘れてしまうのだ

周囲と調和を持って暮らすこと、その心地よさの中にも
他人のすることが気になることもあろう
己の意思が通るとは限らぬ

だが、他者あっての人、他者あっての社会ぞ
その気持ちで生きれば
人と人の摩擦は思うよりすくないものだ

許し、許される生き方ができる者ほど
この世界での成長が進んでいるという証じゃな…
恨み辛みはまだまだ。
人としてより動物に近い、心根という証じゃ…

心当たる者も少しは見つかるだろう

はっはっは…

邇邇芸命
はっはっは…


我らの語るは尽きはせぬ…
なんせ人と我らは切っては切れぬ縁
人なくば我らは今なぜここに、ともなろう

我らの意思は、あらゆるところに現出し
そして人に伝える
言の葉ではなく、世界を眺めてほしい

世界の様相から自然の理を知り
自然の理から、人もまた自然の一部であったと知り
同じであることを理解すれば良い
やがて人の心に、人同士で摩擦を生む馬鹿らしさに気がつく

相手も自分もまた一つの自然の理の一部分に過ぎぬ

手の爪と足の爪が争ってどうするというのだ
それでは人としてうまく動けぬではないか

我らはその自然という理を見守るものだ

時に手出しはせぬし、ことさら小さな部分が気になることもあろう

自然の理の一部であると、真に理解したとき
人は謙虚になる

己の大きさも小ささも
魂で理解するからな

はっはっは…

邇邇芸命
はっはっは…


人の転機は、多くの神々もまた関わるものよ

新しく得た地、人との園、新しい仕事もそうじゃ
皆、どこかの神々の元にあり、
その新しい神々との縁にも触れる

だからこそ、このように大きく物事が動くとなれば
触れる神々もまた多くなるものじゃ…

今の人々はかようなことと、天のことなど気にせずに在ろう
それでも我らは我らがある限り、見守り続けねばんらぬ
そのとき、我らを知り、心から感謝してくれる者があるならば
当然、その者のことはいつしか目をかけるようにもなる

神々と人がともにあった良き時代を、人が忘れようとも
我らが忘れることはなく
そこに軋轢も生まれ、時に奇跡もある

人の中に誰しも信念を宿すだろう
小さくとも大きくともなくはないはずじゃ

その心の中に常に我らの姿を置いておくだけで
特別なことはせずとも我らはそこに在るものだ

わざわざと特別な儀はいらぬ
本来の人の子と我らの関係はそうであったのだ

儀は儀
しかるべきものがしかるべき時に行うものぞ

一人の人の子として生きるとき、我らとともに在ると考え
心からその思いを持ち続けることはいかばかりか

さような関係をときになつかしく思う神々もあるのだそ


はっはっは
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