見えない世界の不思議についてひたすら綴ります

火遠理命(山幸彦)
はっはっは…


人の世が移ろうとも、人の心はいかにあるか
自然の理とともにあれ
寄り添うように、ともにあれ

自然の移り変わりを知れる生き方をしてゆけば
体も心も自然と調和するのだ
均衡を保つこと、これができる

均衡が崩れれば、体も心も病んでゆくものじゃ
死は人には避けられぬものだ
だが、その時を迎えるまで健やかに、自分らしくありたいと
願うものだろう

自分を生き切ることを題とするなら、この世でできた理など
取るに足らぬものじゃ

調和し、均衡を保つ
これが人が人らしく生きるための秘訣かもしれぬな
はっはっはs

火遠理命(山幸彦)
はっはっは…

人の営みと自然の営みは同時に反映できると思うか?

そうだ、双方、いや全てのものは同じく連動して在ることができる
どちらかが優位に立つことなく、どちらも在るのだ

人が自然の一部と忘れずにいればな…

わしらの領域は人の目には侵食されているようにも見えるだろう
だが目に見えるものが全てではない

人が治癒し、自然と怪我を治すように
自然もまた自らの回復力を持つものだ

人の心や魂が自然に寄り添うとき
自然と心は欲や怒り、固執、様々な囲いから抜け出ることができる
とらわれすぎた者ほど、夏の山にでも住むとよいのだ

全てが一体となり、在り続ける中では
ここの欲や感情など無きに等しい
安らぐ生き方を知ることができる

その生き方を知りさえすればよい
普段、生きる中で思い出すだろう…
その安らぎを

自然と肩の力が抜ける

体の痛みを覚える者は、力が抜けておらん
ゆっくりと生き、力を抜け

力を抜くことを意識してみよ


ははっは

火遠理命(山幸彦)
はっはっは…

人の子はこうして言の葉を欲しがるものか?
それに照らして己は間違っていないのかと立ち位置を確認したいのだろうな

はっはっは…

間違いあっての人じゃ…誰だって間違いはある
固執して抜け出せなくなるか、抜け出せるかの違いぞ
抜け出せる者は次へと進み、新たな問いを与えられる

問いとは何か?
人が人である以上、それ以上の知識を持たぬものだ
だが問いは生まれる

問いはその者の持つ経験値から解を引き出し
その経験値なりに歩を進めさせる
問いなくして人には成長はない

問いはとかく辛さも困難さも伴いがちじゃが
目前にして逃げては水の泡じゃ
せっかくぬしらが現世にあるというに、
逃げてはせんなきことじゃ

自分のものでよいのだ
解を持ち、解して生きること
人との摩擦も何もかも経験値が違えば合うはずもなく
ともに過ごせるわけではない

そのとき、そのとき己から引き出した解を常に再考し
感情にかられることなく進むがよい

感情に突き動かされた行動は、獣の道じゃ
いずれ足をすくう

解を引き出し、次を生きることこそが人としての大事な仕事ゆえ
そのときどきに合っているか間違っているかを気にし続けることはないのだ

間違っていたとて、それが何なのだ?
ただそうであるにすぎない
それでも次はあるのだ

心を何に傾けるか
つまらぬ感情に振り回されることなく、考えよ

心の奥底から浮かんだ解こそが
そのものの真実だ

自信を持って歩むことだ

火遠理命(山幸彦)
この時節、人は苦手とも言うな…
何がじゃ?
強い日差しか?
はっはっは…

強い日差しは心の奥底まで見透かすようで、
隠しておけぬことがあると自身に知らせる

明るさが苦手と思う者も
何も思うところがなかった者もみな
自身の心に何があるのか、気がついていないのかと
自身に知らせるのよ 本能がな

明るすぎると思うとき、心の中を見直すよいときになり
何も思うところなくば、素直に自分らしさを生きるがよい
隠し事もなにもできぬ
ありのままを生きる時節じゃ

手放すことにした様々な思いも、物も、
この強い日差しは思いを焼き綺麗にするだろう

手放したい思いがあれば構わぬではないか
日差しの下に焼ききるがよい
自然と人は一体じゃ
人とて自然の理の一部
同調して人はうまく生きてゆける

自然の性質を知り、同調し
うまく活用すれば人の心の病などこうは多くならぬ
まこと惜しいと思うことじゃな…

はっはっは
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