見えない世界の不思議についてひたすら綴ります

火照命
人との別れ、出会はその縁の発露により
早くも遅くもなる

人と会い、成長し、己に何が残ったのか、残ったものの大きさで
出会の大きさは分かろう

縁ありて、出会う人はそれぞれに感化し合い互いを高めあうものだ
それが不毛な関係ならば、何も残らずに終わる
だが、何も残らずというだけではない
そこからすら学ぶことはあるものだ

何も残さないという生き方を積み重ねて、人はどう人生を過ごし、どうなってゆくのか
それは見ているだけわかることぞ

人との出会も別れも、人の生ならではよ
できるだけ多くのものとふれあい、己を磨け
どんな関係であっても、学びは残る

自身の中で昇華し、心の中で学びにかえよ
いつまでも愚痴、不満を言うのは違うこと
それは昇華せずに、そのまま感情に身を任せ続けることになる
それこそ、違うことだ

いつしか人はみな、個ではなくなり気がつくものぞ
個として学んだことの貴重さはあまりあるものだ

人を尊重し、人を育て、人を高めてきた者だけが
次へと進むだろう

やり直しもあるだろう

しかし、そう幾度でもあるまい
生き方、考え方は今からでも見直せるものだ
全員が早く気がつけばのう…
まだしも世の中は平らであったもの

気付いた者から変えればよい
正しくあるということはな、自分自身のためなのだ

あるがまま、あるがままも良いが、考えることを通して
人は貴重なものを掴みとる
目の前に成長の機会があったとて、考えずにいればそれは消える
考えることを通して学べ

逃げ続けることのないよう、真っ正面から様々なことに向き合い
取り組みつづける者なら、分かる

一つひとつの機会はいつでもあるものではない
機会というからには、時々しか起こらないものだ

その機会に考え、苦労することを恐れるな
自らが得たいと思ったことがその中には隠れているのだ

そうやって、人を育てていくの我らの役目ということじゃ…

ははは

火照命
面白い者がおると聞いてな…ははは

さて、では身を清めるとの話を残そうか…

身を清めるとは垢や汚れのことではなく
心身にこびりついた思いや、いらぬ縁など
目には見えぬものをふりほどき、
自分らしくあるように身軽にすることじゃな
清めるの意味をつきつめるとこうなる

なぜ、それが良いのか、よ…

しがらみや思いから解放され
ごく質素に、ごく自然な心で生きられる時が
人は最も心静まるからよ

人の悩みのほとんどは、人と他人を比べるからじゃ
かような思いはいらぬ
みな忘れてしまえばよい

すっきりとすっきりと身軽になれば
自身の本質も見え、自身が何をすべきか
おのずと分かるだろう

人はそのような脱皮を繰り返し、ありのままに近づいてゆく
物も欲も、どんどん脱ぎ捨てるほどに楽になろう…

ははは…

ぬしも大分すっきりした
さようであろう?
ははは

豊受の神
ほほ よかろう…

目的は何かと常に自身に問うのだ
何をするにしても、目的は?と考えてゆくと
究極には目前のことではない事柄に行き当たる

その日々、繰り返しの問いこそが己の中からひとさじの真実をすくい上げるものよ

ひとさじの真実とは何か
それに正解も不正解もない
ただ、己自身の力ですくい取ったという事実は残る
人は考え、そして解を出す
思考なくしては動物と同じじゃな

考えは深く及ぶ毎に、その場その場の感情で生きることを否定し
人の持つ本来の魂から拾い上げた生き方に近づく
感情で動くことを止め、思考を経た結論を持って
己の人生を生きるという努力をしてみるが良い

簡単ではない
がしかし、その生き方は心に希望を持たせ
人を明るくしてゆく
何のために生きるのか言葉にならずとも
心で、行動で知ってゆくことができる
そういう生き方を続けてゆくことじゃ…

感情に流される時は、全くもって浪費じゃ
いかに無為に費やしてしまったか、後になってみれば分かる

感情や頭で否定し、経験してこなかったことがどれだけあるものか
人は晩年に思うものぞ

心を揺らす物事は一人ひとり理由がある
そう、心を揺らすものなど
刺激の多いこの現世にいかほどあるかtね

やってみればよいのじゃな…

とことんやってみて答えを持て

その答えが何であれ、失敗であったとしても
経験という宝は残るぞ


ほほほ

豊受の神
ほほほ

そうして人も物事も動きゆくものじゃ…ほほほ
人は行いに見合った結果を受け取り、いつか己自身の生き方について考えるであろう
これで良かったのか、とな、ほほほ

それに気がつかず目の前の現実が己の結果であるという
謙虚な気持になれぬのであれば
そこから抜け出すのには幾年もかかろう…さよう
この世というは行いと結果で構成される
それは現実じゃな

いくら口がうまく、もっともらしいことを述べていても
詭弁にすぎぬ
言葉は言葉にしかならず、散り
実がなることはない

虚構の現実で生きるが如く
言葉だけで積み上げた現実の装いはもっとも脆く
あっという間に滅びさるもの

確かなものはたとえ貧しくとも、たとえ小さな幸せであろうとも
己の行いの結果として積み上げてきた確かな現実のみ
己の確かな現実は小さくとも満足であり、
確かな実りとともにあるものじゃな…

人は経験を通して学んできたが
これからはそれだけではない
とうに知るものにとっても経験は必要不可欠ではないのだ

ゆえに積み上げる現実についても、
最初から積み上げることができる

旧い時代の者たちはなかなかにして認めようとはせぬ
誰かやなにかに意義を与えられて、その中で生きてきたからじゃ

今は違う
夢も希望も意義も誰かから与える世ではない
無関心に見えてその実、この社会や今の世では新しき者には生きやすくなるだろう

価値観の崩壊を目の当たりにするにつれ
そういった思いを持つものが増える

これまでの現実は在り続けるのか
それは幻のようなものではなかったのか
確かなものは何なのか、と

日本が震えるとき、価値観が大きく変わる
物主体ではなく、人主体となる
そのことに早く多くの人々が気がつけば
これから先もまた変わるであろうな

全ての自然現象は人の意思と連動している
人だけではないやもしれぬが、人が多く関与する

その中で神々の御業と思うのはまさに、旧い時代の現れじゃ
旧い時代の人々は誰かが与える意義や試練という考えから抜けきれぬ
して、その試練に耐えようとするもの

新しい人々の動きや感性に目を向けるがよい
彼らは今、何をしているのかと。

次の時代というはもうやってきている
気付くか気付かぬのかは人それぞれじゃ

ほほほ

追加しました
本日も義援金を集めるために
少しですがアップしています。

DCIM0496 11-59-46


会場はこちら

今回は熊本の震災へ義援金としておくらせていただきます。

※カートよりお買い上げいただきましたら、案内先へご入金いただき発送となります
※送料はクリックポストは無料、レターパック500は有料(上乗せしてください)
※入金先は銀行のみとなります

豊受の神
ほほほ

人の労をねぎらわぬ者は、己自身の評価ができぬのだ
己自身、まこと力を尽くした経験がないからこそ
人の労もわからぬ

風に吹かれるように、その場その場という生き方よ…

それも否定はせぬ
だが己の心に核を持たぬ者ほど多く、災難に見舞われるものよ
(※地震の話ではありません)
巻き込まれる、というのは本人自身が魂で決断せず
周囲に影響されること
すなわち周囲に状況に振り回されることじゃな…

災難多く個人として続くのであれば
いかにして精一杯生きているか、努力して生きる路を見据えているかに尽きる

どうすれば、どうすればと人に問うものもあり
だがその前にできることもあろう

懸命に生きること、それこそが正しく生きることに繋がり
己自身平和な暮らしを持てるものぞ

でなくば人の安定なぞ人に与えられるものでもあるまい
1つでよいのだ…
毎日、懸命に行えることを持つ

それだけで自然に変わりゆく
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