見えない世界の不思議についてひたすら綴ります

豊受の神
月日は経てども、人はどう変わりゆくか…

自身の心の中にある展望が強いほどに
人も、また人の周りの環境も大きく変わる

このままの自然体で生きると申すは
ありのままの生き方を認め
上にも下にも偏らず、自身の路を探すという思いからじゃ
変化を望む者、
そのままの生き方の中で心の中に真実を見つけ出そうとする者
どちらも誤りではない

人はどういう定めを持ってきたか、人によって異なるだろう
して、人は生きる路を選ぶ
人と関わるもの、孤独にあるものとて同じこと
その環境の中でしか出来得ぬ学びをその人が持っているからじゃろう…

人の生き方を誰かに指図することはできぬものだ
個人によって背負うものが異なる以上
たとえ、本人がその生き方で成功したとしても
他の者には全く同じ道理は通用せぬということ

人は選ぶ
選ぶことそのものに意味がある
たとえ知っていようと知らずとも生きる路を種明かししすぎてはならぬのは
これが故じゃ

時に人はこの先について詳細を知りたがるだろう
だが語りすぎてはならぬ

魚を池に放ったものは、魚にどう生きろとは言わぬ
自由にしてやりたくて現世に放った子たちよ

自由と不安は背中合わせにあろう
その不安を振り切ってなお、自身の理想の生き方を求め
進むしかあるまい

年月のうちにその小さな一歩は、確実な距離ともなり
あるいは路と呼べるものになっておるはずじゃ

豊受の神
目標を持って生きる人と流される生き方をした場合、その後について


答えは出ておろう…
日、月、年毎に生きる路を見つめ直して生きる者と
時をやり過ごしてしまう者とな

だがしかし、何が悪いというわけでもなかろう
原因があって、結果があるだけよ

目的や目標を持つことは即ち
常に自分を見直しているということぞ

自身を振り返り、次はこうしようと思うのは
自身への正しい眼なくしてできることではない。
客観的に見る眼を養なえば、その眼は常に正しく他の者へも投げかけられる

他の者への歪んだ評価を持つ者は、
その前に己への評価も正しくはできておらぬということじゃ

人がどう言った、言わないなどの低い次元の話でも
どうでも良いことじゃ

己自身を常に観察し、世の人々と関わることを恐れずにいれば
人はその者の前に自然に集う

人の社会ではそのような者が先頭に立ち
今後の社会を背負うのだろうの

自然と人が集まるものは、己へも他人への評価の眼も
一定で、安定する

ここぞという時に状況を正しく見きれるのも
その眼あってこそ、になるだろう…

豊受の神
心の震える様は、人の気配を通じて分かるもの…
その人間が常日頃にどのような心持ちで生きているのか
我らには筒抜けも同じく

一人ひとりがみな平等に見守られ生きるならば
一人ひとりの言動そのものが我らの
人への関心を削いだり、あるいは起こさせたりもする

人が一人では生きられぬと申すのならば
なぜに見えはせぬが存在する世界を否定するのか
大きく影響を受けて生を受けていると言うに。

この世界は現世、うつしよとは何を映したのか
言葉遊びではない
言葉に秘められた意味があるだろう

心を広くひろげ、新しい目で見渡せばよい
さすれば、これまで感じることのできなかったもの
知らなかったものに出会える

人の生を豊かにするはさような意識そのものよ
狭い意識の檻の中には居らず
広い世界を見渡せばよい

許せない思い、許しきれないもの全てはまやかしであり
とるに足らないと気づくだろう

人の小ささを知り、大きさも知ることができる
人の子らの心の内の広さは限りなく広く、
とても深い

それを経験している者は少なく
わずかな者が扉を開くのみじゃ
だが敢えて言おうぞ
その扉を開かずして、今後の現世では生きられぬぞ…

心を病んだり、苦しさに根をあげたりするだろう
して、この現世に精神世界という概念を
この時代に下ろしたものぞ…

深く深く自分を見つめ、扉を開け
その先に真の解放があるものぞ

豊受の神
富む者、持たざる者、もとよりあるのは己を知るためぞ

人を知り、己を知り、元は何だったのかを思いめぐるさま
人とはいえ、人でなかった身であろう…

多くは現世で己を忘れるが、時として思う
人の姿を見て、己自身に疑問を抱く
これで正しかったのか…とな

さような疑問を持ち続けたものだけが真実までたどり着くが
それは現世の証である

人を見て思い抱く感情はそれきりのもの
それ以上でもなく、己を知るための合わせ鏡ぞ

学んでなお、囚われてはならぬ
先へと進めなくなってしまうわ

人が生きる土地、空気も日に日に変わるように
人の心も移ろうものじゃ
同じはなく、日によっても異なる

こうありたいと願った己自身の希望はありのまま
真実の自身を映すものになるだろう

人の子よ、いつしか己を忘れて
人がどうこうと口にするようになってしまったなあ
人はどうあれ、己がどうあるかよ

天の背くことなく生きれば助けもある
決して、天は見放しはしない

だがしかし、多くの者は思いださぬ
周りを見るよりも、今の己がどう生きているか
それだけをしっかりと見届けよ

それが自分を助けることに繋がろうて
今日、申し告げる

コノハナサクヤヒメ
ほっほほ

つくづく思うは、人の子らの迷いの多さよの…

何も起こっておらぬ時ですら、悩み、悲観し
時には絶望すらもする。
して、それは真実、今起こっていることなのか?
否、そうではないこともあろう。

人の意識を暗闇や迷いへと誘導する者は
意識そのものが傾いているからこそ
光の方向が見えず、常に悲観する。

その悲観の様に引き寄せられるように
同じような者が集まり、多くの者がつどう。
つどうほどにそれはあたかも真実であるかのように
見えるやもしれぬ

だがそれはいつ、真実となったのか
なってはおらぬはずじゃ

人の意識を誘導し、多くの者の心が傾けば
傾くほどに現実となってしまう。

人の意識を誘導する者は光よりも暗闇を提示するほうが
人は不安に従って、
その思いを1つにしてしまうものよ
同調する思いはそれだけで、ゆうに現実を超える力となってしまうものじゃ…

世の人を不安に貶める悪意ある言葉、うらみつらみ
世の中で起こる事象への予知様々あるだろうが
その発言の元となっているものを確かめねばなあ。

人を操るは、簡単なこと
まやかしに踊らされ、ありもせぬ幻覚を見せられて
それが真実だと思うのか?
赤子の手をひねるようなものぞ

自身の心に依って生きれば、他の者の言葉などに踊らされることなく
生きとおせる。

真に強い者とはさような者ぞ…

ほっほほ
Copyright © 紫音のスローペースなチャネリングで。. all rights reserved.