見えない世界の不思議についてひたすら綴ります

コノハナサクヤヒメ
ほっほほ

人の心が揺れ動く様、その者がその心によってどう動くのか…
どう動くのかで正負が分たれる

心で思うのが正しい怒りとして、
世の中の在り様や他の者への欺瞞に生じているのならば
人の子らはそれを止められはせぬ
ただし捕われぬようにあるべし
己の律しようとする心を真ん中に据えるように「思う」のだ。

その怒りが真ではなく、己のわがままやずるさ
価値観の違い、根本的な思い違いであったなら
その炎はすぐさまそのものの人生を焼き、現世に生じるだろうなあ

心の中は見えぬものでありながら
すぐさま現世に生じる火種じゃ
扱いはまことに慎重にせねばならぬなあ

ほっほほ

その感情によって行動をはじめるとき、
誰れが見ても正しいからと、己を理由づけるものは大抵、嘘じゃ
己を騙すための嘘にほかならぬ

かくあるべしと信念によって行うのであれば誰かなどど考えもせぬ
己の信念に添うということは、自身でその責を負うということぞ

責が他人にあるから行うのか、己に在りて行うものか
結果はその者は思い違いをしていなければ、まっすぐに現れ
思い違いをしていれば、逆の結果になろう。

自由に行動できる今の世の中とはいえ、
その結果、責を負うことまで意識するものは少なかろうな

全ての出来事は現象として在る限り
結果を生み続ける

己の周囲、己自身に結果が現れている時
その結果を真摯に見つけてみるべきじゃな…
病も等しく因があり、人との関係も然り。
中にはその日の金銭に困るものもあり…じゃ。

あらゆるものに原因があってのことぞ
それを見ずして解決はなかろう

他人、他人とほかのもののせいにするうちには
全く解決はできぬ
1人で生まれ、1人で死ぬのが人の子ぞ

生きている間ですら、己の路を見据え
どのみちをゆくか自身で責を負わねばならぬ

そちが言うはかようなことであろう…
世の中には己のことばかりで、他の者が重責を回し続け、楽に生きようとする者が多いと。

ならば、その者の今を見よ
そうすれば分かる
幸福な生き方など、決してしてはおらぬぞ


ほっほほ

カマエル
心の闇の深さを愛しなさい
人を人たらしめているものならば。

ありのままの自分を認め、慈しみなさい。
そして、なお大事にする心が育ったのなら
次に自分の良いところを伸ばしなさい

自分のネガティブな面を見るのではなく
良い面を伸ばしなさい

育つにつれ、様々な困難があったとしても
強い気持ちで乗り越えるでしょう

ポジティブな面に目をやり、注目しつづけ
伸ばすことを意識することで
ネガティブな面は影をひそめるだろう

心の奥底に宿る光の強さが増すにつれ
傲慢や、自身を卑下する心から遠ざかり
本来の意味で、その人自身に戻ってゆくのだから。

自分や人のネガティブな面に注目しつづけるのではない
どれだけポジティブな面を育くみ、成長してゆけるかなのだ

魂の多くは、人に認めてほしいと願う
自分自身の存在意義をほかのものへ委ねてはならない
貴方自身の目で、貴方自身を認めなさい
欠点も、良い点も、人はみな誰しも持ち合わせる

そんな人間を私たちは育くみ、愛しているのだから

かぼちゃとおば天ちゃん
ハロウィンムードがまさかのデパートにまでやってきてました。
日本橋三越までハロウィン…

と、なるとかぼちゃが食べたくなるもので
友人とお茶しにいってかぼちゃのケーキをいただいたり、
1/4カットのかぼちゃを買ってみたり…



いや…こんなに堅かったでしょうか…
刺さった包丁がビクともしません…

思えば、前はレンジでチンしてから切ったりしてました。
でも、なんだか今回はいける気がして生に立ち向かったところ…
戦いに疲れてしまい
「なんか怪我しそうだし、なきものにしてやるか」と
ゴミ箱をチラリ

するとおば天が。
ノリがやっほ〜って感じです。

さすがに捨てるぐらいなら、教えてやろうの気分になったのでしょう。


ネットであるような「レンジでチン」「蒸す」ではなく
かぼちゃの断面の1つに垂直に包丁を当てて(接地面を最も少なくする)
そのままくる〜と回転させるようにかぼちゃを回すと

あら、魔法のように切れる!!

包丁は根元に近い部分を当てるのもコツ

魔法のほうに切れるので楽しくなって、全部カット済にしてしまいました。

ただ、おば天ちゃんはかぼちゃ好きなようです。
ほくほくして甘いもの
当時を懐かしんでいるのでしょうか

料理しているときはやはり、出没率高めです。

たった一度の警告
これまでの鑑定の中で、たった一度だけ
神界の方から警告を受けたことがあります

それは、そのときに受けていた案件
決してそれ以上関わってはいけないと告げられたのです。


最初にその依頼メールが着た日
そのときから胸にざらりとした感覚がありました。
なにかまずそうな依頼は決まって、胸を砂だらけの手ですられるような
ざらりとした感覚が湧いてきます。
大抵は、良くない霊に憑かれている時。

このケースに至っては、相手が悪意を向けてくるという知らせでした。

基本的に頼まれた事以外は見ず、分かっていても告げませんが
このときにも私は言いませんでした。

因縁なのでしょうか、獣に完全にもてあそばれていました。
自分自身の人生を少しずつ、少しずつ削られ
猫が獲物をいたぶるように運命を削られていました。

原因は本人の過去にあると確信したとき、
この災いは自分で責任をとらざるを得ないだろう。
よって、今自分がなにかいったところで
よほどの代償を支払わない限り解決せず、またなぜか…
見えない世界の人たちは手伝う意思がありませんでした。

自身に降り掛かった数多の霊障に気がつかないのは、その獣のせいでしょう。
そして、その霊障を霊感と捉え
霊能者になりたいと言うクライアントさん。

180度世界がひっくり返ったとしても、それは無理でしょう。

そして更に、ほかの人を鑑定していくことで禍を買い取り、
自分に受け乗せしたままで、禊もしていない状況
手にとるように、その後が分かりました。

神界からの助言は私にとって絶対なものだったので
その後、一切の鑑定を断り、理由も告げませんでした。

ただ、今まで出会った人の中で
ここまで長生きできないだろうと思った人はほかにはいませんでした…。

高次の存在が手伝わなかった理由は、それだったのでしょう。
おそらく死なくして、償いは終わらないと。

転生した親子の話
過去生鑑定では、なかなか面白いストーリーも出てくれば
あるいは、本当に普通の生活が続きすぎてまったく山場のない人生もあったり
ときには、100回に一度だろうなというほど印象深いものもあります。

最近出会ったのは、過去生において
「転生して必ずまた再会する」という強い信念を持った方が
今生でその人に出会、それをたまたま私が拝見する流れになった鑑定です。

ご本人からブログ用に掲載許可をいただきました。



【ご本人とお母様が一緒だったときの過去生について】

1つか2つほど前の人生で、一緒になっていました。
場所は南米
チリかメキシコのような高度の高い都市です。

年代は日本で言う江戸時代ぐらいの感覚で
それほど古くはありません。
一般的にはこのぐらいだと前世というケースが多いかと思います。

さて、貴方はこの時代に女性として生まれており
成長し、嫁ぎ先の家で過ごしていました。
息子も一人、二人と次々に生まれており、良い嫁と認識されていたようです。
黒い髪で、一見するとジプシーに似ている感じの民族です。

貴方はよく市場へ買い出しに出かけていました。
木の皮のようなもので編んだ大きなカゴ一杯に買い込むと
自分を番人と称す長男を連れて楽しそうです。
長男はこのときに8歳ぐらいになっていました。
この子が今生でのお母様です。

家へ戻ると、その野菜や肉を大量にカットして
親類や近隣の人を呼び、バーベキューのようなことをしています。
定期的に行っていたようなのですが、
貴方の家には変わったかまどがあり、それが人気の秘密だったようです。

そのかまどはおじいさんの手作りで、その地方にはなかったものなのですが
遠方へ出かけたときに似たものを見かけ、
実際に自分の家にも作ったようなのです。

棺ぐらいの大きさの長方形のかまどで石造りになっており
その天面には大きな平たい石が設置されていました。
下のかまどで火をたくと、上の石が焼け
その石でバーベキューをするという形です。

これは、子どもたちを多く授かったおじいさんが
長い年月、子どもやその家族といっしょに食事をする機会に恵まれるようにと
願いをこめてつくったようでした。

それが今でも大事によく使用されていました。

かまどは大人が入れるサイズではないのですが
子どもは入ることができるので
よく長男が入って、灰をかき出す仕事をしてくれていました。

ある日、長男はそのかまどの中で発見されています。
亡くなっていました。
原因はやけどなどではなく、遊びか灰をかきだす仕事のために中に入り
そして誰かが扉をしめたまま、中で眠ってしまったようです。
とはいえ、扉は中からも押せますし
当時としても原因がわからないままになったようですね。

おそらく遊びで入って、眠ったのでしょう
そして酸欠に至ったかと思います。

長男を亡くした貴方は落ち込んでいました。
一番かわいがっていた息子だったのですね。
おじいさんも「かまどはもう壊す」と宣言しましたが、壊す気力もなく放置され
親類の集まる機会も減って行きました。
寂しい感じで生活されていたようです。

月日は流れ、次男か三男の息子の一人が
亡くなった長男とうり二つに成長して、貴方は元気を取り戻しています。
転生して帰ってきたのだと、みな口を揃えて言います。
たしかにそっくりでした。

ですが、貴方の中で美化された子どもは
現実の子どものいたずらや、言うことを聞かない様子を見るにつれ
「やはりこの子じゃない」と口に出すようになります。
そして、子どももなんとなく寂しさが伝わったのか、
だんだんと家を訪問する機会は減って行きました。

晩年まで貴方はずっと、またあの子が転生して会えるといい続けていたようです。
生まれ変わった子どもに会うという信念があったようでした。



今生では母子として再会されていました。
自分の身の回りにいる人は、少なからずこういう縁を持った人なのかもしれませんね。

コノハナサクヤヒメ
ほっほほ


人と摩擦し、人と愛し合い、
人との間に起こる多くの感情の揺れこそが人を育てる
広義の意味では憎しみですら、人を養う要素ともなろう

感情は人に許されたものの1つよ…
数多の生命体が、転生し転生を繰り返し、
肉の衣をまとう最終的な段階として、意識と感情を備える

感情は人の身にも見えぬ世界にも影響を与える
見えぬ世界にまで影響を与えられるのは
まさに今の世では人の子のみよ

その持つべくして持った感情、意識を
どれだけ有意義に使いこなせるか
振り回されることなく、使いこなせるかで
人の成長の度合いもまた異なるだろう

決して、己の感情に縛られてはならぬというは
それが理由じゃ…

感情が生まれた時、そのときどきの周囲に起こった出来事の
本質を知るだろう

起こった出来事はその者に事象を持って何かを教える
それに気づくか否かよ

多くの者は、何かを嫌悪するときそのもの自体ではなく
そこに垣間見える己自身の暗部に触れているからこそ
無意識に嫌うのじゃ

そこに他の何かはなく、自身の内面と向き合うべき事柄が残る
向き合い解決したならば、いずれ嫌悪の感情は消えるものじゃ…
感情に囚われず、感情を標として
1つ1つ己自身の内側にあるものと向き合うべきよ

より研ぎ澄まされ、純化した魂は
そうした無数の内観を経てのみ得ることができる

より純化された魂は生きやすく
向き合うことを忘れた魂にとってはより生きにくくなるだろうの…

なぜならば、この国やこの星自体もまた意識を変えつつあり、
その上で暮らす人の子らにも呼応して
変化することが求められるからじゃな…


さてさて、しかしなお
現世での小さき悩みに囚われる者の方が多く在るはずじゃ
その問題は、自らが抱えるからこそあるもので
執着を手放せば良い

まこと自由な生き方の選択肢が、そこに見えるはずじゃ…

ユルス
以前、あるセッションでのこと…。

死霊につきまとわれていた方がいらしたのです。
その霊に対して、なぜここにいるのか探りを入れていました。

その霊は、異性に裏切られて
自ら命を絶った霊でした。
しかし長い年月が過ぎたとき、彼女のいた竹やぶ付近に
その男性に近しい人間がやってきました。

彼女はその人についていったのです。

その人物は何も知らぬまま職場へ向い
職場でさらに彼女は移動しました。
それがクライアントさんでした。

クライアントさんの当時の精神状況は悪く波長が合ってしまったのでしょう。
そして、なにより「似ている」その面影。
そのときの彼女の心境「一人で寂しい」という気持と
引き寄せ合うように憑いていました。

このクライアントさんは全てを知った上で
お祓いではなく、成仏を祈り
さらに実家で懇意にしていたお寺さんへ頼み
時間をかけて弔いました。



ある晩のこと。
夜更けに夢をみました。

生前の彼女がいました。
こちらを向いてはいませんが、とげとげしい雰囲気はなく
そこにいる、という感じです。

数十年前に流行した、赤いカーディガンをきて、
フレアのロングスカートをまとっています。

ふと、彼女を見ると
腰に▼の皮膚のめくれがありましたが、
全身覆われていためくれは消えていました。

そしてカーディガンのタグも裏返しになっていたので
よくよく見てみると…
タグには

「ユルス」

と、それだけ書かれていました。

彼女は許すことにしたのでしょう。
自分を追いやった男性を。

すこしだけ似ている男性に弔いを受けて、心がほぐれていったのかもしれません。

ただ祓うだけではなく、弔うことにしたこのクライアントさんの決断を
今になっては懐かしく思うのです。

コノハナサクヤヒメ
ほっほほ

人の心は千差万別
同じ笑顔に見えても、その者が腹に何を秘めているのか計り知れぬものじゃ
屈託のない笑顔と思うても、ひどく思い悩んでいたり、
時一刻として、同じ心がないごときに
人それぞれの心も異なる。

その根本にあるのは、性根じゃの

魂とは違う、性根があるものぞ
人に左右されずに生きることは難しくまた
己自身でその存在を見極めることもまた困難なこと

時として変わりゆく心は、さほどに影響は少なく
その性根の異なりが、人の集まる場所を決める。
軽くほがらかな者は寄り添い合い
重く、恨みつらみを捨てきれぬものは集うだろう。
その姿、有り様を見定めたとき
自身の身の在り方、置き場所を自然に決めることができる。

より一層分化し、共には在れぬ

人が助け合えるのは、人として生きる上でのことじゃ
性根が左右するものは少なくとも、人には助け合うことはできぬ

その者自身が己の姿に気がつかぬ限りは
他の者の手など意味を為さぬ

身はどのような魂、性根であれ同様に受け入れることができる器だが
心の調和が取れぬとき、その揺れ動く傾き、不調和によって
病でそのものに知らせる
全体の調和があるとき、人は健康じゃ
身に不調和が多い者ほど、見直すべきはそのもの自身の性根であろう

不調和によるもの、外部からの感染によるもの
人の世には多くあるが、留めるのは己自身ということぞ

成り立ちは古い時代である
人がつくられたそのときから、決まっているのじゃ

人の心が持つ影響は身にもおよび
他の者や社会にも及ぶがごとく
広大な世界を持つ。

言い換えれば、心は常に見えぬ広大な世界と繋がっているということ
それを真に理解し、意識するのであれば
その広さは多くの波紋を持つ事も理解できよう

常に心の動きを意識して、己で己を統率することを忘れるな…

ほーっほほ

コノハナサクヤヒメ
ほっほほ

わらわはその仕事、仕事の度に働きとして
ほかの者にも、ほかの場所にもまた見えよう
これまでと異なって見えるのなら、それはこれまでとは
違った働きをするために、性質が変わっているだけじゃ…

人にも、怒り、悲しみ、喜びに身を焼き
まるで別人のように見えることがあろう
じゃが、それは見かけだけのあくまで表面的なもの
永遠に真の性質は変わることはない。

今、それぞれが隠されたものを明るみに出し
残った重みのある現実と向き合う
自然ならば、歪みは正され、あるべく姿に戻されよう

人ならば直視してこなかった己の隠された歪みを前に
素直に受け入れ、己を変えねばならぬだろう

それが肉にも現れるのならば病として現れもする
全てはつじつまの合う方向性へと向かっていることじゃ

個々の流れはより大きな流れに包括される

自分を見失わずに己の隠された歪みを洗わねばなあ
現実につまづくとき、うまく行かぬとき
必ずそこには自身の知らなかった部分にある歪みがある

知りつつも認めずにいた歪みがある。

神々の心を知るにつれ、歪みは露見し
手放さざると得ないだろう

そうして1つ1つ荷を卸し、あらゆる人、あらゆる生命が
素の歪みのない状態へ近づこうとするのが今じゃ

このことを胸に置き、動くがよい
これがそちへの助言じゃな


ほーっほほ…
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