見えない世界の不思議についてひたすら綴ります

ニニギノミコト
日々の移ろいは、人の心に影を与える
四季のある国だからこそ、
その変化に人の心も体も影響されゆくもの

人が自然と近くあった頃にはなかったものだが
人が建屋にこもる時が長くなるにつれ
自然の変化から受ける影響に敏感になった
体が適応しにくくなったとでもいおうか。

心が定まらなかったり、季節毎の症状をもったり
様々な変化が出てくるのは、地と密接に繋がっていた
その絆が弱くなっているからぞ

毎日、少しでも外で自然と共に在れば
和らぐぞ…はっはっは…

陽の光も水の流れも、自然よ。
避けては通れぬ
人は自然を制圧したようで、実際には逆じゃ
常に影響され、その中で生きる

季節のうつろう時期に心身の変化を
きつく感じるものはな、
毎日、土地…土との関わりを深めるように
ゆっくりと眺め渡して楽しむがよい

気の長い方法と?はっはは…

実際、繋がりが深ければ
ともにある実感を持てよう
変わり目に変化を感じるのではなく
ともに変わるだけじゃからの…


はっはっは…

昨日の対話の後で
カマエルが入れ替わりで、来ていました。
吉さんがお家に帰ったもので、同じ仕事を引き継ぐために
再び戻っているのです。


さて、なんでこのメッセ?と思いつつ
様々な疑問が湧くまま、尋ねてみました。

いろんなメディアで将来
人間の作られることになった理由もそのうち分かってくるだろうと。
それは好奇心から、見てみるもよし…
ただし、そのときの人間と今の人間は質がすでに違ってきていて
過去のことは気にする必要はないという話でした。

宇宙人、本当によく最近露出してきますし
話題も増えてきましたが、
そのうち否定するほうが難しくなるのではないでしょうかね…

ところで今、自分の中で最もホットなのは
ヴォイニッチ手稿。
これがなにかを暴く重要な手がかりになるような気がします。

カマエル
人の心に愛情が宿るとき
私たちにはその人間そのものが
優しい光で満ちているように見える

柔らかなその光は枯れることを知らず
周囲の人までを優しく包むだろう

光をエネルギーと呼びかえるならば
そのエネルギーは周囲を変えてゆく力を持つものだ
力や言葉ではなく、人の心を奥底から変えてゆくのは
その愛情だけだろう

母も父も子も、そして縁ある人々もみな
心に宿すことを知っている
たとえその関係がどうあろうと、心に宿った光が本物ならば
その愛は本物なのだよ

人の概念で考えるものが愛の実体ではない
愛はエネルギー、根源的で普遍的なエネルギーの源そのものだから。

その泉の在処を知ることは頭ではできない
心の中にある時、気がつくものだ。
そこにあるのだと。

泉を感じてごらん。
できなくても、そこに在るのだと想像してごらん
それはいつしか本当の泉に繋がるのだよ

人に与えても枯れることがないのは
真実の泉だけ
枯れてしまうのは、人が愛だと思い込んでいた
幻想の泉だ。

真実の泉は深く、我々と同じ源に繋がる
ゆえに枯れることを知らない。

人が変化を恐れるのは、
人が何者であったのか、知る事を根源的な部分で恐れているからだ。
どこから来ようと、どう人が作られようと
それは史実の物語でしかない。

あなた方は、今ここにいるのだ。我々とともに。
いつか真実が明らかになったとしても
それがあなた方を脅かすことはない。
それは近い時期に人類に訪れる可能性はある。

でも、人は変わってきたのだ
心の泉を持てるほどに人は成長した。

古い古い過去に縛られることはない。
本末転倒になってはいけないよ。
好奇心より、今の自分たちを信頼してほしい。

ニニギノミコト
先々の不安を人は抱える
知らぬがゆえに恐れる

恐れとは、明日を行きたいと願う人の心の裏返しとも言える

真に生きる気力を失った人はの
不安は持たぬ
先々のことなどどうでもよいからであろう

先が不安と申すものならば見込みがあるのだ
だから我らも人の心を拾う

人が知り得ずとも結果はあり、人の路は生きる限り続く
知らぬからこそ旅路が楽しめるのと一緒で
全て知るようであっては味気もなにもないものだ

明日は何をするのか、どんなことがあるのか
心が躍るような想像をとめどもなく持つ者には
目に留まるのだ
そのような経験がな

全く同じ人生の一日であっても、心が異なれば
「起こっていること」の事実そのものへの認識が変わり
見違えたように
単調さとは異なった暮らしが見える

ありきたりではなく、特別な人生とするのは
実際は経験している物の心じゃな

眺めれば様々なことが起こりうるものぞ
その変化の兆しから
己に起こる変化を読みとるが良い
単調と感じれば、つまらなくも思うが
ありふれたものではないと思えるとな

明日が待ち遠しくもなるだろう

長い長い長すぎる時は持たぬのが人じゃ
この時間を使い切るように楽しめばよい

ニニギノミコト
はっはっは…

子というのはの、人にとってまさに自らの位置が逆転し
護ることを意識する良い機会じゃ…
子を育てるつもりが、己を育てているものぞ
そうやって何十世代も、それ以上も
延々と人は営んできたものじゃ

人の命の長さは、この先長くなるが
人の持つ命題は変わることがない
短くとも長くとも同じだけの仕事を持ち
この現世に在るものじゃ

この時代より先、確かに医療は力を持ち
その起点となるべく物事も動きはじめた
だがしかし、体は長く保っても
意識や魂はその長さに見合うだけの成長ができるものか否か
その者次第で変わるだろうの…

世間を賑わす大きな話題には
そのままのものは少なく
はからずも何者かも意図が
隠れ見えるのが常

本質的な部分だけを見極めれば
人は他人の虚言に踊らされることはなく
己自身を感情に任せてしまうこともないものぞ

いかにして、己自身の成し得た果を手にし
社会へ還元できるのか
信念のある者ほど叩かれ、鍛えられる
信念より強いものはなく
虚言には滅び去る

虚言に晒されているものに加担するも同じことよ
己の意思がなくば、誰かの強い物言に
流されてしまうだけじゃ
それこそ、まさに自分自身の意見がないものと同じ

自らの足元にあるものが何か知っているからこそ
非難されようと
真実を曲げることを許さぬのだろう

語る言葉より、本質じゃな
この時代のこのときにあっても良いものだからこそ
現世に現れる
現れてはならぬものは出ぬ

と、言えばよかろうかの…

はっはっは…

ニニギノミコト
人はのう、自身の心のどこかで思っていることを否定してまで
そうし続ようとすることがある。

真の声を遮ってまで行われねばならぬのは
妄執、己の欲望、見栄、感情に深く囚われた者ばかりじゃ

まこと必要なものは、この世においてあるか?
足るを知るとは有名ぞ
それでもまだ渇望しているのは何ゆえじゃ?

全ての欲からなる感情に囚われず
必要なことだけを見定めてみよ
どうじゃ?
まこと最低限以下であろう

本当に必要なものとは、そのものにとって
すでにあるものばかりじゃ

見栄もなにも囚われることはない
ありのまま、ありのままよ
苦しみを苦しみ足り得ているは
欲からなるものばかりよの

真実でないものに囚われ、苦しむのであるなら、
それはこの現世のからくりから逃げ出せてはおらぬということじゃ

深く深く己の声に耳を傾ければ
質素、最も質素な生き方とは物ではなく心のことであり
質素であるがゆえに、溢れる慈愛を感じることができるものだ

慈愛は自身や他者へと向かう
互いに循環し、思い合い、社会や自然に戻り
また己へと還ってくる

自身の心に蓋などいらぬ
頭で考えた結論などいらぬのだ
心を広げて、慈愛を感じてみるのだ
それは神々からも、この世界からも、常に休むことなく
人に与えられ続けたものと同一じゃ
人が持たぬはずはない。

持つからこそ、与えられて広がり
循環することができるのだぞ

広い意味において、人は自然の一部であり
神もまた等しくそうであると申すのは理屈ではないぞ

慈愛を循環させて生きている間
大きく広く魂があることに気づくだろう
そこには不確かなものなどない
あるのは、己という一部の存在よ

我らは申すことも申さぬこともある
それを聞こうとせずに
人が自ら感じ取ってほしいと願うからだ

そうやって、人の力を磨き再び手にすればなんのことはない
人一人とこの世界の大きさは、同一であると分かるだろう

言うては難しくはあろう
だが、いつか人はそこまで知ることができるぞ

はっはは…
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