見えない世界の不思議についてひたすら綴ります

大国主命
はっはは…よい…

人生の節目、節目に人は混乱し、
この先々を見んと心にとまどいを持つは必然のことじゃ…

命あって、人の生は続きそしてまた後世へと続くは
人が生きること自体に意味があって
長く連綿と続いてきたものよ…

自身の身を振り返ってみても
やり遂げたと思う事柄がはっきりしていれば
その気持こそが次の段階へ進もうとする
本来の自身の声が届いたものであろう…

多くの者が次の扉を開けようとしている今
理屈は通用はせぬものだ
常識、安定した暮らしへのこだわり、
恐れから逃げようとする理屈こそが
歩みを踏みとどまらせてしまうものだぞ
ひるまず、次の扉に手をかけているものは
心が定まった証じゃ…

道のりに迷ったときこそ、自身の声に従うがよい
誰が言った…、親が…、家族が…というても
それは所詮、自身でない者の意見に過ぎぬ
その者がどう生きるのかは本人だけが知るところであり
他人の尺度でよい悪いもないはずなのだ
失敗したとて、やり直しができぬわけでもあるまい

人の人生ではなく、己の人生を生きる決心があれば
迷いなどなかろう…
常に自身に忠実であるということは
自身の心をあざむかない生き方となるもの

自分に正直に生きれば、心は潤い
苦労を苦労と思わなくなるものだ
不正直に生きねばならない時代はとうに終わっている…
自分自身で何ができるのか
肯定的に考え取り組めばよいだけぞ…?

何をしたいかは、どの色の扉をあけたいか
選ぶのと同じじゃ
好きな色はそれぞれにあろう
自身の人生を人に委ねることなく、
己に最も忠実であればよい…

質問32 大天使に届くとき
さて、それでは今回もご質問ありがとうございます。
さくっといきたいと思います。


ネットを通して高次の存在と繋がることもあるのでしょうか?
私は、ドリーンバーチューの本を読んだりして、大天使達に呼び掛けていますが、
声が届いていないようです。
天使はあなたの呼びかけを待っているとのことですが、
どうすれば、大天使に声が届きますでしょうか?
もしも、ネットを通して天使と繋がることが出来るとすれば、
例えば、紫音さんのブログを読んだりすることで、繋がりができるとか…
そうだったら素敵だなと思ったりするのですが、
またまた変な質問ですがよろしければお答え頂けると嬉しいです。



質問の中で、ほかの方のお仕事の支障になる部分は今回免除させてください。
答えられる部分で、なのですが…

実際、声が届くときというのは
必死の本気の声なら、強い感情を伴うので届くみたいです。
雑念ぐらいだと、埋もれてしまって届きにくいみたいですね…

とても大雑把に言うと
向こうからは「援助の手が届く人か」とか「理由」「本気度」とか
様々な理由から判断している様子もあります。

例えば、その人がなにかで困っていて助けを求めているとき
その人が人生の中で学ぶべきことを学んでいる最中ならば
介入はしないでしょう。

なので、人間の側から「どうすれば届くか」というのは見えにくい理由だと思います。
実際には向こうで見ているかもしれないけれど
訪問するところまでいっていないのかもしれません。
それはもう人間には分からないでしょうね。

ネットを経由して、というのは簡単な答えですよ~
あります。
繋がりができるというか、そういう人がいるということを認知するようです。
セッションのメールやブログのコメントは見てます。
なので、知ってるみたいですね。

とくにセッションでは相手先の家へ訪問して
様子を見ていることもありますし、
こちらで頼んで、数日行ってもらうこともあります。
そのため、セッションのあとでもしばらく滞在したり
なにかと縁ができることがあるみたいです。

天使からすると、人間一覧にブックマークをつけるような感じらしく
ブックマークの付いてる人からの呼びかけは、すぐにキャッチできるみたいですよ。
そのブックマーク作業が、人間で言うところの
「お友達の紹介で~、知り合った人と携帯の番号を交換した~」
みたいな感じなんじゃないかと思います。笑


ちなみにコメントを読んでいるときに聞こえたつぶやきは

「そんなに一生懸命にならなくても、コメントは見てるといってあげなさい。笑」
でした。

大国主命
幸いなことに人にはな、やり直しが
限りある時間の中でできるものぞ…?
人は悔い、そして次こそはと
新しい人生を生き直すことができるものだ
いかに気持を素早く切り替え、
次の目標に向かって為さんと進んでゆけるのかじゃな…

今の世では生死にまつわるような事柄はそう多くもなく、
だからこそ自然の下で命を失うことを
人々は必要以上に次か次かと恐れもする
それは人として当然の心境ではあろう

次、なのじゃな…
次への一歩が、己自身や社会の行く末を決めるものじゃ
人々の総意が行く末を決定づけてるように
その最初の一歩の気持に方向はかかっている

個々の生活でも同じことが言える
仕方なく、あらがうことなく次の一歩を踏みしめるとき
その中でも最善となるべく
自信の決意と自信を持って、踏み出しゆけば
いやいやという気持の者とは異なった結果が現れる

やっていることは同じように見えても
人の心が最終的な場所を決め
その位置へと心が導いてゆくものだ…

何かを新しく始めようとするとき
あるいははじめる時期にたどり着いた時
まずは自身の心のうちを整理し
いかに前向きに事柄を捉えられるか
その中でも最善を尽くす道を心に持つとよい

同じく選択した道であろうと
結果は必ず違ってくるものだ
新しい道にさしかかることの多い今
迷いある心より、
全て心の中で解決し、それから現実に行うと物事は早いぞ?

いくら行動しても結果が出ぬというが
心が決まっていないからに過ぎぬ
心が迷っている時、決断・結論をどこかで先延ばしにしてしまうからだ…

今ではない、まだ…、先にもしかしたらと延ばし延ばしにしていることがあるなら
真摯にその事柄について考えたことがあるのか。
今のその行動はその考えに基づいたものであるのか。
今一度正してみるのもよかろう

そして人は生き直すことが許されていると
どこかで感じもするだろう…

質問31 守護霊さんについて
今回、ご質問いただきましてありがとうございました。
それでは、ささやかなレスいきたいと思います。


よく、守護霊さんは先祖が多いと聞きますが、
私は生まれて直ぐに捨て子として施設にいたところを今の両親が引き取って育ててくれました。帰省した際には今の両親の仏壇やお墓をお参りするのですが、
こういう場合肉親の先祖、義親の先祖のどちらが守ってくれているものなんでしょうか?
守護の方も変わることがあると聞くので人それぞれなのでしょうが、
ずっと気になっている事でしたのでこの機会に質問させて頂きました。



聞いてみました、まさんの後ろの方々に。
なかなかないケースだったので、勝手にごめんなさいね。

守護霊さんは、子ども時代までを見ている方と
その後の担当で、だいたい交替します。
メインの方はそのままで補佐的な方が変わるというケースもあります。
うちは14歳ぐらいで変わりましたが、貴方も昔変わったかもしれませんね。

今現在は、育ての系統の方々がメインだそうですよ。
守護霊さん曰く

肉親の系統、育ての系統、双方ともに守護として名乗りを挙げるのだけど
その候補の中から、守護霊さんを選ぶのは
もっと上の神様に近い存在なんだそうです。

貴方の場合にも双方名乗りをあげておられて
適役として選ばれたのは育ての系統の方ということ。

もしかしたら、ほかの方では逆のケースもあるかもしれませんね。
どっちが適役かで決まっているみたいですよ。

これはお嫁にいったりするときにも似たようなことがあります。
外国人の方が日本の家に嫁ぎ、その家で生きて行こうとするとき
日本で生活しやすくなるように、嫁ぎ先の系統の霊が面倒みてくれることがあるのです。
元々の守護霊さんはいたりいなかったりですが
嫁ぎ先の系統の霊が守護霊として新しく加わったりするんですね…

つまり、どこの家でいきていこうかと心が決まっていれば
その家の人として見えない世界でも認識されているのではないでしょうか。
自分たちの子孫という意識が強い方が
面倒みやすいですものね。

なかなかデリケートな質問でしたので、
文章でなにか不適切な表現がありましたらご容赦ください。


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今回も、この記事のコメント欄で来週の質問を募集します!

守護霊さんの統計。笑
先日、ご質問にありました守護霊さんの内訳について
統計を出してみたら30人分で力尽きました…
これ、結構大変かもしれません…

ですので30人というわずかな分母の統計ですが
こんな結果となりましたので、ご笑覧ください。


【守護霊さんリスト 30人分】

●何人の守護霊さんがいた?

守護霊さんの人数1名の方  10人
守護霊さんの人数2名の方  17人
守護霊さんの人数3名の方  3人


●何時代の方だった?

古墳時代 2人(時代はおおよそ)
平安時代 1人
室町時代 2人
鎌倉時代 5人
戦国時代 5人
江戸時代 19人
明治時代 10人
昭和   6人



衣装や本人の会話で時代が判明したものは分けてありますが
ぱっと見、戦国としか分からない武士さんなどは“戦国”にしました。
要するに、適当な分類なので感覚的にお楽しみくださいという感じです。笑

また、明治や昭和の守護霊さんは、ほとんどがメインではなく
補佐的な役割を担っている方が多かったですね~。


ちなみに守護霊さんは、元人間の方。
ご先祖や血縁関係を含みますが、
これは毎回聞いている内容ではないので統計に出しませんでした。

守護天使さんや神界の領域分けもやってみようかと一瞬思いましたが
大変なので断念。笑

大国主命
はは

己の心境を露にしてみることを恐れずに生きれば
人は本当の意味で安らぐことができるものぞ

自分の心を押し隠し、現実を目に映すだけ。
心に染み入らぬただの世界として、日々を過ごせば
それ以上に心を痛めることもなく、
それ以上でもそれ以下でもなく
時をやりすごせはするだろう

いったん、外の世界に心を開き、受け入れ、
自身の心との融合を望み一体となって生きようとすれば
その心境にみあった現実として世界は映る。
心の満たされた者は、貧しくとも気持が満たされるはそれゆえじゃな…

たとえ多くを与えられようと、心中が豊でなければ
豊かな人生とは言えぬように
物質とて、手に入るものは単なる生活の手段であり
心の豊かさとは無縁といえよう。

自身より多くのものを持つ者を、人は豊かと表現するが
そのものの欲しいものを反映した見方に過ぎまい

一見豊かに生きる者であても
心の中は砂漠のように乾くことなど容易なものじゃ

今、自分にあるものを見直し
どれだけあり、どう活かせるのか、あるいは与えられたことへの感謝が宿れば
満ちた心ともなろう

自身が満ちていると知る者のところへは
現実も多くのものを運んでくる
仕事、人、金銭、あらゆるものが足りていると感じているものの下へ
集まるのもまた事実だ

なぜか?
渇望しているという状況を本人が手放さず
次の段階へといこうとはせぬからじゃ…

この世もあの世も、望めば目前に必要とするものが現れるのは
全く同じ原理である
ただ物質の世界において現実となるに
時間がかかるというだけなのじゃ
見えぬ世界の理を知り、今に生きる己自身にも
同じ理が通ずることを理解するのであれば
必要な事がどんどん起こる

まさにそういうことが容易い時代になったのだぞ…?

人はなかなかにして気づかぬがな…はっは

いかにして気持ちを切り替えるのか
それが問いであり、自身への解答ともなろう…


質問30 供養について
コアなご質問ありがとうございます。
知りうる範囲で頑張ってお返事させていただきたいと思います^ ^


私は、ほぼ毎日亡くなった祖父母にお参りをしています。
父方の祖父母は、私の住まいの隣家に仏壇があるので出向いて
お参り(ろうそくを灯し、線香を燃やし、お香をぱらっとおとし、
手を合わせて挨拶やお礼やちょっとした愚痴などを心の中で言う・・・)をします。
母方の祖父母は、自宅の床の間のようなところに飾ってある写真の
前に水を供え、手を合わせて以下、同じ挨拶をします。
どちらも我流のお参りですが、きちんと届いているものでしょうか。
お参りの方法や、愚痴を言ってはいけないなどありましたら、
教えていただきたいです。



これって、たぶん霊能者でもスピ系の人でも
その人の思う供養としてお返事することになるので
まとめてみると、違ってくる部分もあるかと思います。

しかしながら、きちんと届いていると思いますよ
よっぽど、誰の声も届かないような悪い状況にいない限りは届きます。

この世でした供養は、あの世では何倍にもなって届くといいますしね
きっとご先祖のお役になっていることでしょう

愚痴は適度であれば別にいいんじゃない?というのが自分のスタンスです。
あれがダメ、これはダメというのはその場の状況次第だと思うんですよ。
お願いだけをしにいったりする場ではないけれど
本当にどうしようもないとき、危険なときにもダメなんていうのはナンセンスかと。

あの世の人もあっちで大変なんだからねという話は聞きますが
基本的に、自分のことは自分でやりなさいよという意味合いからです。

生きてる人間同士ならどうする?を考えてみれば分かりやすいのではないでしょうか?
それならきっと迷うこともないと思いますよ。

ただ一つ、亡くなったばかりの方に
なかなか辞められない習慣性のあるものを供えるのはやめたほうがいいみたいです。
49日まではOKとしても、それ以降は特別な日ぐらいで。

例えば、お酒とか煙草とか、コーヒーホリックの人にコーヒーとか。笑
日常的に置いてしまったら、あの世へいきにくくなるみたいです…。



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今回も、この記事のコメント欄で来週の質問を募集します!

お客さんのその後
先日の記事で書いたおばさん霊のその後。

一週間ぐらいはいるつもりなのかな?と思っていましたが…
土曜日の夜、奇妙な光景を見ました。

録画しておいたブラックボード第一夜を見ていたら
熱心に見ている様子が…。

なんか気になったので、気がついてないフリを決めこんだ一週間目にして
あれこれと見ていたのです。

すると、寝る前
自分が就寝すると、守護霊さんはやや余裕をかました感じ?になるのですが
おば天がなにかを準備していました。

囲炉裏のある板張りの部屋に2膳の食事の準備

小さな台にそれぞれの食事を用意してました。
納豆、ごはん、汁物、野菜の漬け物 という具合です。

ただ納豆がなぜかさらさらしているので疑問に思ってみていたら
生卵をいれてました。

正直、うらやましい…

江戸時代御飯なので、質素ですが
卵を用意しているあたりが客人用なんでしょうか。

すすめられて二人で食事をはじめました。
守護霊さんは普段、好奇心でつまむ以外に食事なんてしません。
あるとしても、生前の習慣をしてみるとか
もてなしの意味でやってみたというそういうもんみたいです。

なんとなく、不思議な表情でもう一人のおばさんは席につき
やがて二人でひそひそと話を始めていました。

私にはさっさと寝なさいと言うのに、会話が始められると気になります。


じっと見まくっていたところ、視線が気になるのか
ビシャっと戸を閉められました…
もちろん蹴破って、また見てましたが
さらに閉められてしまい、あきらめましたよ


なんかこう…

こんな光景はじめてみました。
お茶をのんきにすすっているのは見た事が在りましたが
食事ははじめてですねえ

ただ、別に食べなくてももちろん平気みたいですけど。

大国主命
ははは、まあよかろう…


人は日々、様相の変わる日常の中で
変わらぬことへのありがたみを知り
どれほど尊いものであったのかを心に刻むようになろうな
あってしかるべき様々な事象は、根底から
その存在を問われたと言うても差し支えはあるまいの…

大きく社会や自然に変わり目がきているとき
個々の人間の暮らす様もまた等しく
変化そのものに直面してゆくだろう
それはごく自然なことだろうの…

人と社会、自然が一体となり生きているということの
本来の意味を心に問えば
変化に翻弄されることなく
自然に変化の波に乗れるものだろう
あまつさえ、人心が乱れるとあれば
不安を煽る言葉や噂も多く
より混乱させんと慌てふためくばかりじゃな

心で知りうるものは、もう知っておる
頭や目で知ろうと躍起になっていても
それは見えてはこぬ
さようであろう?ははは

己自身の魂、生き方、存在について
深く考え、人の道を考えてきたものならば
意味もわかろう…
そういう時代であるからな

ゆくゆくは人らは互いの心の内を隠すことをよしとはせぬ
選択をするやもしれぬ
だが、まだまだ先じゃ

長い道のりを経て、人がここまで歩いてきた現実を振り返れば
人だけでなし得る業ではないと、心に思う者も多いはず

生きて限りある時間の、果てしない積み重ねが
人の人生の中を豊かな歴史へとかえてきたのだ
漫然と日を費やすより、前向きに人生を変え行く意思があれば
道は開かれるものよ

扉を開ける時期は人によって異なろうが
おぬしは開けてしまったゆえ、元には戻らぬ
戻らぬことを知っている

よいのじゃ
選択の結果にたどり着く先なら後悔もしまい

ねぎらうぞ

質問29 相続のこと
今週も質問ありがとうございます。
難しい部分は、聞いてまとめてみましたのでお返事をしたためさせていただきます。


自分は仕事柄色んな方の相続に触れる機会があるのですが、
相続というのは、お金が絡むことなので
人の欲や思惑が表面化しやすい場だと常々思っています。
そこで質問ですが、
前回の質問のコメント欄に「人の生死に関わることは神の領域」とありましたが、
それに伴う相続のゴタゴタもそういったものの影響があるものなのでしょうか?



人が産まれて、生きて、またあちらの世界へ戻る。
その間に積んだ経験と思い出だけを持って帰ることができますよね。
そういうことなんです。
神々が見ているのは、いつ送り出してどんな経験をして大きくなったのか
そして、いつ元の世界に戻すのか、だそうです。

亡くなったときに、様々な相続の問題などがついてまわるとき
時々、見えない何かが働いているような展開になったりするのは
主に、先祖や故人の意思だということでした。

昔、自分がかかわった話をしてみなさいというので
軽く書いてみます。

ある男性が、非常に厄介な場所へ出向き
そこで盛大に憑かれてしまいました。
結果として、鬱と睡眠障害を併発して薬を服用していたものの
自死を選んでしまいました。
そのあと、その人の持ち家は全焼したのです。

理由は悪い理由ではありませんでした。
家に残った霊たちを一気に祓い、焼き
そして奥さんを守るために先祖と故人がそうしたのだそうです。

そういう風に財産をなにかの代償にしてなくすこともあれば
長患いで、財産を費やし
自分の金銭的なものを現世に残さないようにしてから亡くなる方もいます。
これは相続についての問題を避けるために、本人が意識せずに選んだ道だということ。

生きている人間の欲という念もとても強いものですが
見えない世界の思惑もはたいている時があります。

つまり、結論としては
神の領域ではないけれど、見えない人々の領域も含まれる
と、いう感じでしょうか。

現世での物質的なものについては、神の領域と言うのには
あまりに現実的なんでしょうね。
でも病気などについては、領域に含まれるものもあると思っています。

思うに、命は神様はくれたものですけど
お金は神様はくれたものじゃないですしね…
だからこそ、争いもあるんでしょう。


-------------募集お休み-----------------

来週分の質問は埋まりましたので、次の質問記事にて募集いたします。
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