見えない世界の不思議についてひたすら綴ります

チャネリングとエゴ
エゴというと、スピリチュアルな世界ではどう捉えられているでしょうか?
どうも、本来の精神分析の世界とは異なった受け止められ方をすることが
多々あるようですね。

自己意識云々と語るよりも本を読んで勉強するほうが懸命とは思いますが
スピリチュアルの世界においては
自分自身の中のエゴイスティックな意識=悪いイメージと捉えたり
あるいは、個としての自分ではなくすべて一つの意識であるということへの囚われか
個よりも全体であることが尊いと思われがちです。

でも、チャネリングに関してはそうではないと思います。

自分自身の意識が確立していない状態でのチャネリング、
とくに高位意識とのコンタクトや、低級霊とのコンタクトは
ときとして、自分の意識の境界を失うことにもなりかねません。
一般的な病名がついてますが、
実際、チャネリングは紙一重の世界です。

自分自身である意識体も、
チャネリングとして接続を希望する意識体と等しく
別に存在するものとして、互いに尊重しあって成り立つものです。

ですので、同化してしまったり
自分の意識とほかの存在の意識のボーダーを失っては
日常を送ることが難しくなるのです。

スピリチュアルな世界にいると
どうもエゴという言葉に抵抗を持つケースがあり
レッスンでも難航することがあります。

そういう場合には、元々の精神分析の本を読んでみてください。
きっと参考になると思います。
何事にもリスクは存在しますし、正しい情報と訓練はセットですからね。

ラスト・ソング
  ラスト・ソング


本日のご紹介はコレ

原作は『きみに読む物語』のニコラス・スパークス と聞いて
それだけで借りてみました。

普通…の映画なんですよね
どこかで見たような展開に、どこかにあったような構成
平凡だな、という印象なんですが…

そんなことは気にせず、無心にみていると
だんだんその良さがわかります。
素直に見てみるのがコツでしょうか

誰でも持っている心のいびつな部分を
修復していく物語です。

主人公の女の子も、弟も、父親もそしてボーイフレンドも
みんなどこかに傷を抱えていました。
その傷に向き合う強さがあるか、ないか

この女の子にはあったのです。その勇気が。
だから人生の新しい一ページをジュリアード音楽院で始めることになったのでしょう

映画では父親の「とある事情」でバラバラになった親子が集うのですが
仮面のような表面的な付き合いではいられなくなります
だからこそ、本当の部分での修復ができたとも言えるかと。

人間関係って、向き合うことを恐れ
傷つくのが嫌で、なにもせずに逃げているだけだと
結局、なにも得られないのでしょうね。

ぐちゃぐちゃになることを恐れずに
本音で向き合って、言いたいことをいってごらん?と時々思うことがあります。
たぶん、それだけで人生がかなり変わるのではないか、と。

銀チョコ
幼稚園のとき、銀チョコというパンにはまってました。
今もまだ売っているなんて全然知らず、
スーパーで再会したときに即買いしました!

昔は表面にざらめのようなものがついていたパンも
ほかにあったような気がするのですが
なにぶん、遠い昔のことですからね。笑

銀チョコを食べていて思い出したのは
幼稚園でお弁当をひっくりかえした男の子のこと。

幼稚園ではお弁当を持参で給食ではなかったのですが
ある日、となりの席の男の子が弁当を落し
見事に全滅させてました。

子どもなので、静かに泣いてましたが
先生はお弁当の中身を収拾すると
その子を連れて、外の店へいったのです。
帰ってきたとき、その子の手には銀チョコが!

銀チョコを手に笑顔で戻ってきた男の子は
みんなに「いいな~」と言われてずっとニコニコしてました。笑

あのときから銀チョコはすごく特別なパンになっていて
自分でもよく買ってもらったのですね。


…まあつまらない話なんですが
子ども時代のことを思い出すと辛くてたまらないときには
そういう思い出はまったく出てこなかったのです。

それが…近頃では頻繁に思い出すのですね。

自分の子どものときの思い出は
今になっても、すごく温かな人生の彩りであったこと

おそらく子ども時代というのは、何の条件もなしに
無償でたくさんの愛情を注いでもらえる時代だったから
その頃の思い出は、今でも生き続けているんでしょう。

昔のことを思い出すと、貧乏だったからおもちゃなんてものはほとんどなくて
ぬいぐるみも、ひとつ買えば5年ぐらい大事にしてました。笑
それでも、なんであんなに楽しくて幸せだったんだろうと
不思議に思います。

自分の見方次第なんでしょうね
世の中が不思議に満ちていて、楽しいところであると信じていた時代の目線だから。

すっかりそういう目線には縁が遠くなってしまったと
銀チョコを食べながら、ふと思いました。

伊邪那美神
それなり、と思えば人の世の中ではそれなりのことしか
できぬものであろうの…

自身の欲求がことさらに深いものであるほど
それを自身に求めるか、他人に求めるか、
その者の考えが分かれ道ともなろう…

己の欲求を満たす物事に対峙してゆくとき
自身の力で遂げようとする者は努力し、自らその結果を手中にせんと励むであろう
だが他人に求める者は、願うだけでは
現実が追いつかぬ。
そのまま葛藤だけが残るものよ

ああしたい、こうしたいという希望は他でなく
自身の心中から涌きいでたものであるならば
自身で物事を変えゆくきっかけが見つかるもの

他者に対して与えてくれと願うは
己のことを見ていないからに過ぎぬのじゃな…

心の中から湧き出る望みそのものは
己の目で現世を見たときに
そこから自身に反映させて、浮かびあがるものだからして
他者にゆだねるものでは本来なかろうな…

どんな立場の人間であれ、現世にいる限りは
皆、等しく自身の課題を乗り越えている、
それぞれの旅人に過ぎぬ
それをよくよく理解する者は奢らず、くどく他者にも干渉せぬ

自身が今置かれたその場から
何を救いあげることができるのか
それぞれの旅人の仕事でもあるもの

ここまで言うて、尚、他者がというのであれば
一歩も動かずして、糧を得ようと思っている己の姿に
いつか気がつくまで待つよりなかろう
止まれば景色は変わらぬ
寒さも暑さも、誰かが何かをしてくれるわけではない
ふと思い立ち
木陰や、風を遮る岩陰へ自ら歩を進めるだけで
問題は解決してゆくであろう…

一つひとつの事柄に感情を込めれば
恨みつらみも生まれるものじゃが、己を見ている限り必ず
解は見つかると申し伝えようの…

あっという間に
前の会社を退職してから、今まで
それはもうあっという間でした。

あれ?もうこんなに経っていたの?というぐらい。

新しい一ページを開く、急展開な時期とはいえ
思った以上のジェットコースター。
やっと最近、落ち着いたのかなと思えば思った時点で
また違う展開に。

よくも悪くも、もう慣れてきました。
なにかあっても、まあ昔よりはマシかなと思うと
たいして気にならずにいます。

一体、いつ落ち着くんだろうと思いましたが
それもまた楽しみなんですよね

次の展開がどうなるのか
次に誰と出会うのか
どんなハプニングがあるのか

昔の自分は変化を恐れていたと思います
つつがなく普通でいられればそれで充分だと。
普通に生きることすら、困難で、もがいてもがいて
やっと普通でいられることにしがみついていたんだと。

今はちょっと違うような気がします。

「普通って?」と問われれば
皆がみな、基準の違った答えを思い描くでしょう
その基準の差がどれだけであるのか、だんだん分かってきました。

今の自分に欠けているものを常に想定して
いつも「基準に満ちていない」状態に不足感を感じること。
これはあんまり健康的ではないでしょうね

同じ時間を生きるのであれば
今、自分に与えられているものを大事して
そこから得る幸せを大切にしてみるのもいいかと思ったのです。
いつも足りないことを嘆くよりは、ずっと気持よく生きられる。

だから明日、なにがあるのかと待てるようになったのでしょうね。

人生を変える映画たち
「この映画をみて、この仕事を選んだ」
なんていう映画は世の中にいくつもあるものですが
その中でも、珠玉の二本をご紹介します。


  モリー先生との火曜日


この作品を見て、仕事をやめ、教師になったという話を聞いたことがあります。
ジャック・レモンの遺作となりましたが
本当に大事ななにかを置いていってくれたような作品です。
心に響く言葉がぎっしりと詰まった映画ですので
メモを置いて、気に入った言葉を書き留めておくのもいいと思います
誰の心にもひとつかふたつは、届くものがありますから。

火曜日ごとに先生の元を訪れる、元生徒と教師の物語です。
でも…教師も人間
ときには死の恐怖に怯えながらも、火曜日の面談を続けて行くのです。
自分自身もいっしょに教えてもらっているような気分になるのですよ。

道に迷った、そんな気分のときには是非どうぞ。

Amazonを見ての通り、かなりの良品なので
マーケットプレイスでもいいお値段がついてます。
でも、レンタルで置いてあるところも結構ありますよ。
気長に探してみてください。




  レナードの朝


こちらは実話を基にした映画です。
目覚めている日々こそ、長くはなかった彼らですが、
自分の過ごしている一日一日がどんなに貴重なのか
どれだけ素晴らしいものにできるのかを考える機会をくれます。

ロバート・デ・ニーロの演技は本当に凄くて
「俳優って才能がないとできないんだなあ…」としみじみ思いますよ。笑

薬の投与によって、長い意識の眠りから目覚めるのですが
その薬も次第に効かなくなります。
だんだんとチック症状が現れ、元の状態へ戻っていくのですが…

その時、レナード(ロバート・デ・ニーロ)は言うのです
「カメラをもってこい、学べ、学べ、学べ」と。

自分の発作が起こったときに、記録して学べと叫び
医師に撮影させていきました。

感動的な目覚めの場面も、そして再び意識の眠りに入ったあとも
「体も意識も眠ったようだけど、魂はそこで生きてる」ってことを
必ず忘れることなく刻んでくれると思います。

この映画はたぶん人によって、感想も違うし
心に残る部分も違うでしょう。

私自身も、どんな感想を持っているのか
それを図りかねて何度も見た映画です。

伊邪那美神
結構…

生きる世はそれぞれ、見えるものも違い
それぞれの人が心の鏡に反映して見るよう、違ったもののように映ることもあるもの

しかしながら、起こりうる事象はただ一つに過ぎぬものよ
それをどう捉えてゆくかが、それぞれの人の心をかいま見る機会となるでしょう

ある者は好機と捉え、ある者はそれを見て絶望するやもしれません
しかしそれはそれぞれの捉え方に過ぎぬもの

心という事象を映す鏡が歪みを得れば
正しく世相と映すことはなく、歪んで映すように
心という鏡がどうなっているのか
それぞれの状態で映り方は変わるもの…
それこそ、千人いれば全て異なるでしょう

人と人がその違いを論じ、争うのは
真、穏やかではなく、悲しいものであるでしょう
しかし、お互いの違いを認め、譲歩し
異なった味方があることを互いに知れば
たとえ、自身の見え方とは異なっていようと
それだけ世界は広がってゆくもの
自身の捉えたものだけが全てではなく、
様々な発見や、感情、見え方があって当然なのです…

人と人がどれだけ異なっているのかは、同じ事情に向き合い
その意見の違いを尋ねれば明白となるでしょう

それぞれの者は異なった旅路におり、
異なったものを見ておっても、その世界そのものはただひとつであるがゆえに
本来の意味では分離することなく、互いに影響しあって成り立っているのです

人の意見をその場では疑問に思うこともあれど
心にいったんしまい置いて、広く物の見方を覚えれば
自身の役に立つことでしょう

あれやこれやと批判して排斥してしまっては
他から見た自身という大切な見方のひとつを捨ててしまうことになります

様々な目から見た自身という評価も
時には自身を改革してゆく手だてになりますぞ…

回線の使い方
自然にチャネリングがはじまった時に。

たまにコツがなかなか掴めないという方がいるのですが
チャネリングの回線そのものは、
自分と相手で共同利用する「自分の語彙変換機能」みたいな部分を
うまく使えるようにすることで精度があがります。

どういうことかと言うと
相手から伝わってきたエネルギーという意思を
自分の変換機能を使って、どんどん言葉化していくわけです。
そのときには、自分が考えたことを言葉にしていくのと同じ感覚ですね。
ただ、ソースが自分ではないということ。

なので、自分が考えているのか
それともチャネリングなのか、最初のうちは難しい人もいると思います。

瞑想などで自分の心の声をぴたっと止めてみる訓練をすると
すごく簡単になっていきます。

相手の意思が入ってきたな…と思った時点で
自分の心の声をぴたっと止めてしまうのです

そして自分を脇によけます。

すると相手の意思はするすると止まることなく
言葉として紡ぎだされるのですね。

ここで自分の声を止められないと…
相手の意思の間に、自分の声も入っちゃうのです…

最初の大枠としての部分は、相手の意思なのに
あとはほとんどチャネラーと呼ばれる人間がナチュラルに制作した部分になってしまうので
なかなか判断がつきにくくなっていきます。

でも、これをずっとつづけていくと
精度なんてなくなり、もはやチャネリングとは呼べなくなってしまうでしょうね。

訓練は数日でできるものじゃありませんので
気長に続けて下さい。

ちょっとした日常のおまじない?
こんな覚えはないでしょうか?
「ああ、本当にツイていないな…」とか
「嫌なことばっかり…」と、毎日言い続けていると
まるで言うのが習慣のようになっていって
なんでもないときにまで、つい言ってしまうこと。

本当はちょっと仕事で疲れたとか、そんなことだったはずなのに
つい口をついて出てしまうネガティブワード。

これを意識的にいい方向に向かわせる、おまじないのような習慣があります。
勝手に思いついてやりだしたのですが、コレ結構おすすめ。

毎日何でもいいので、
「幸せだな~」って言ってみること

私の場合には
「あ~、冷蔵庫が一杯で今日もしあわせ」とか
「おお、今日の夕飯は出来がよかった、しあわせ~」とか
まあ、そんな程度でやってました
無理にやっても凹む時は、へこみますからね。

ただ、続いているうちに
一日何回か、ふと、口から出てくるようになるのですね

無意識で、言えるようになっていきます。
そうなるとしめたもので、なんでもないことに幸せを見つけてる状態になっていきます。

気がつくと、愚痴ばかりの自分から
なにげない時にもプチ幸せを見つけて、楽しいと思えるようになっていきますよ。

こんなつまらない事でも結構違うものです。

おおおお~な天使
なんだか、最近様子見されているようです。
とはいえ、仕事も鑑定もとくに普通に進んでるし
問題はないのですけどね。

ラファリンに続いて
昨晩は本当になつかしい訪問がありました。

寝る前にいつもなら、さらっと挨拶してから寝るだけなのに
なんだか
ベッド脇にずらっと並んでいる…

?と思ったら

あらやだ、超なつかしいしっとりした声

これはレミエル!!

なんて久しぶりでしょう。
最初のガイドの天使でした。

レ「頑張ってるようだね。随分と貴方も変わった」

私「いや、どう頑張らずに人生長くやってくか、それを考えてるとこよ」

みたいな挨拶。笑

少しだけ話をして、かなり遅い時間でもあったので

レ「もう寝なさい」と。


たしか5年も前になるんでしょうか
レミエルがきたのは

あれから、本当にいろんなことがあったけれど
辛かったことも、いい思い出もみんなすばらしく
懐かしく思えます。

翌日は、初めての今の会社訪問。笑
前の会社のときにいたガイドですからね。ええ。

一日過ごして、何事もなくつつがなく定時であがり、帰宅しました。

なんでいろんな人が今、様子見にきてるんだろう?
「あと、一山二山越えれば…」となにか告げてたんですが
それはそのときの楽しみということで。
Copyright © 紫音のスローペースなチャネリングで。. all rights reserved.