見えない世界の不思議についてひたすら綴ります

ミカエル
生きるということは、ただ日常を費やすことなのだろうか?

いいや、違う

向上を願うからこそ、人は苦しみ、高みを見上げ、
ときに天の者に投げかける
その声をね

苦しいと思う気持ちこそ、あなた方が生き
そして成長しようとしている証なのだよ

現状や今に甘んじている時には苦しみはない
あっても、それは自身の感情や欲に所以したものであり
魂の声ではないだろう

よく聞きなさい

苦しさ、悲しみ、そういう気持ちを持ち続けて
そこに浸り続けることを許すのはよくはない
だが、あって当然の感情なのだよ
それを否定してはいけない
間違えてはいけないのだ
人らしい感情を醜いと覆い隠せば、一層苦しみは増すだけなのだからね

自分を許せばいい
弱く、悲しく、苦しい自分を許し
そこから立ち上がればよいのだ
その時に天の者は味方するだろう

立ち上がるあなた方の本物の願いこそ
私たちを動かすものはない

天使と龍神様
自分の人生の節目に守護天使が変わるとは
西洋ではよく言われてること
でも、守護天使じゃなくてガイドも変わる。

6月、突然うちにやってきたミカエルだが
そのとき、エネルギーに圧倒されて眠れなくなった。

それまではサンダルフォンとラファリンだったのが
一番、近くで影響している天使がミカエルになったため
夜中になっても、部屋がエネルギーでムンムン
まったく、こうエネルギー的に暑苦しいような
そんな感じになって眠れなくなったのだ。

これは、ほかでもある
よそ様の上の方が突然訪問してくると
そのエネルギーの強さで、起きてしまうのだ。
悪いものは入ってこないが
そういう人だけは入ってくるから…

それだけ敏感なのは、
この仕事をする上で悪いことじゃないよ、となぐさめられるものの
6月は、もう3時すぎても目が覚めっぱなしに…

「だめだ。自分がキッチンでねよう、それしかない」

ぐらいにまで思った頃、
ふと、ラファリンが家から消えた。

夏の終わりまではいるといっていたのだが
早めにいなくなり、
そしてエネルギー的にOKになったのか安眠できるように。

これにはビックリした。
それ以降、たま~にラファリンがふらっとくるぐらいになった。



し、しかし龍神様がこられたときだ…


全然、大丈夫だった。笑
エネルギーの違いがはっきりしているので
その差もあるのだろう。

数日後に、龍神様は一番強い出方ではなく
天使系に継ぐ、見守り方になった。

なので、

なぜか同じ部屋ではなく
お風呂からキッチンにかけてのびるようにして居る。

なんか変なところにいるなあと思ったのだが
その辺りに、どうしても植物が置きたくなり、3鉢も置いてしまった。
また、そのライン上にあった黒猫の置物も
どうしても置きたくなくなり譲ったのだった…

なんかこう、居る場所について
軽いリクエストだったらしいのは、後日気がついた私だった。

手作りのもの
ブレスもそうですが、手作りしたものには
作り手の意思や思いがそっと残ります。
特にブレスは石が媒体になるので、
調子や気分の悪いときには作りません。
良いときだけにまとめて作ります。

それは、手作りの品物も一緒だし
お料理なんかも一緒


 * * *


さて、話は変わって私がスピリチュアルに飽きてきたとき
もう卒業してもいいかな、と思ったとき
一番関わってよかったことがわかりました。

それは、自分の親への感謝

それまでは自分がされてきたことや
苦痛、ゆがめられてきたこと、諦めなどが一緒になり
混沌としていました。
苦痛は自分の中の箱へ押し込めて、封じてきたものです。

本当のところ、
自分でうまくいかなかったことを
親から受けたことに上乗せして、
「助けてくれなかった、こんなことをされてきた」と
そう思っていたのです。

実際は、「助けてほしい」

それが本音でした。
気がついたとき、自分から親への憎しみは消え失せて
無条件で全てそういう感情を引き受けて
育ててくれていた親の姿に気がついたわけです。

数年前、親が大きな手術を受け
そのさなかに死にそうになったときに
実はそんなことどうでもよく、喪服の心配をしていました。

でも、今は心から
あのとき生き延びてくれてよかったと思うのです。

あれだけ嫌っていた親のことを毎日考え
健康を祈り、実家へも頻繁に顔を出し
今の幸せを喜んでいます。

これだけはスピリチュアルに関わってよかったと思えます。


だから、なんでしょうか

母親が手作りしてくれたものが、必要ではなくなったものでも
どうしても捨てられなかったりします。
もう捨ててもいいといってるのに、古くなっているのに
それでも手元から放せない。なんで?

ああ、そうか
母親が私を思う気持ちをこめてつくったものだから
その気持ちがこもっているものを放せないのか、と。

逆に、すごくいいものだったはずなのに
もっていてはいけないものにも敏感になりました。

それらを比較すると分かります
全然違う「気」があるんだということ。

やっぱり家族あっての自分、そしてその親を育てた親もいる
ずっと続いてきたのは
人間の愛情があったからなんだな、と思うのです。

土地神さまのお使い
ちょっと視る必要があったとき、
久々に瞑想して意識を飛ばそうとしていたら、

おじいちゃんがいました。

ちいさくて、白髪白衣のニコニコ顔
土地神のお使いということで
伝言を置いていきました…





去るものを追うことはなく
自らの意思で、新しいものを拓くがよい

己の中で、心に決めた路あらば
今、手にしているものにこだわるほど
愚かで、過去を見る行為はないはずだ

たびたび申されたはずゆえ
深くは告げぬが
新しい人々の中に入ることこそが
己自身、生まれ変わり
新たな段階へと進めた、最も大きな実感となる

常に心中では戦いじゃな
人は平穏を好む生き物ではあるが
先を見、拓くものこそが
進んでその姿を見せよ
そして述べよ。伝えよ

ミカエル
自分の人生を捨てていけない

これまで何のために

たくさんの涙を流し

たくさんの苦しみに耐え、

今日まで生きてきたのか。


今日から明日へ生きることで、

未来へ繋がるまた一日を生きよ


全ては自分の力を取り戻すためだったのだから。

靖国神社で…
その日、私は歯科の定期検診の予約があったので
ホワイトニングと検診と受けて、帰宅したのですが…
帰り道、靖国神社の中を通って帰ったのです。

なんとなくですが、大きな神社の外側よりは
内側の結界の中を通過するほうが安全な気がしてならないので
いつもそうしてます。
時に神社の結界の外側には、入れない人が溜まってますからね…

そうして、散歩しながらゆっくりと歩いていたのですが
4時をとうに過ぎていたので参拝は見送りました。


101020靖国



神社の門まできたときに(鳥居ではないところ)
入り口に榊についた紙垂の長いこと、長いこと。
繊細なその紙垂をさらりと触って遊んでしまいました。
左手で…

次の瞬間

「痛い…」

左肩が痛いのは、気のせいではない様子
神社から出てもやっぱり痛い

「これは気のせいレベルを超えてるな…」

「すみません、みなさん。
 私の不徳のいたすところではありますが、なんとかしてください」

と、見えないみんなに頼んでみたところ
電車からおりる頃には痛みがなくなっていました。

ちょっとびびりました。笑

望むことを現実にしていくには?
スピではよくよく言われていること

「想像、言葉、行動」

やっぱりこれ、基本だなあと自分の人生の中で実感をする。
想像というのは、妄想とはちょっと違う。
妄想にはあまり意味がない。

想像は、これからどういうビジョンを持って
自分の人生を進めていくのか
脳内のシミレーションを通していくこと。
その無数の選択肢の中から、自分でコレというものを掴む。

ここで、
「あれだから無理」
「こうだからやめよう」
「難しいからやめとこう」と
人間は理性で判断し、可能性を消していく。
でも、本当の可能性は、その頭で出した【考え】や【妥協】を超えたところにある。

だから、なんども想像し、シミレーションして
自分の心で選べばいいのだ。
たとえ、あとでダメだったとしても
そのときの最も最善だと信じた判断まで捨てる必要はないのだから。
その時々に、新しい道を探せるのも人間なのだから。

そして、その選んだことを心の中だけでなく
言葉や紙に記して、宣言していく。
言霊なのかもしれないし、書き出すことで整理されるのかもしれない。

現実にしていくぞ、というスイッチが
ここで入る。


最後に行動

行動に移すのは、なにもビジョンがない時には難しい。
その最初のステップさえ、なかなか見つからないのだから。
でも、何度もシミュレーションしていれば
やってきた時瞬間に、今が動く時だと分かる。
だから、動きやすくなる。

また、守護の方々も本人の決心に手を貸してくれるときもある。

どうするのか決めて、細かく想像し、決心する。
行動はそのときにはできるようになっている。
できなければ…


本当の決心ができていなかったか、
本当の望みではなかったか

…なんだろう。

今度は千葉神社へ
ふと、友人に逢う約束が出来たので
互いに都合のいいところで待ち合わせしていましたが、
そのとき、思い出しました。

「あ~、ここ天之御中主神を祀る神社の近くだな…」と

そこで、友人とランチの後にいってきました。

千葉神社はこんな感じ
http://www.chibajinja.com/index.html

101019千葉神社2


入って左手には、いっしょにお祀りされるようになった神々の社が
この鳥居と橋の先に並んでいました。
石神とか珍しいですよねえ

101019千葉神社4



さて、よく、引っ越しなどで良くない方位へ引っ越したときや
玄関が良くない方位だったりするときに、
置物をおいて処理したりと、方位にまつわる話を聞きますよね?

こちらの祭神の妙見様は天之御中主神と同一神と言われています。
ですが、九星気学や易学に関する方位を司る神として祀られているだけに
神社の建物もちょっと様子が違いますね。
上のほうに、いかにも五行な何かがついてました。
なにかは不明ですけど。笑
だからなのか、いつも神社で感じる雰囲気よりも柔和な感じでした。
な~んか、やっぱり違うって感じなんですよねえ
ただ、参拝の後、ふっと暖かい穏やかさを右側から感じました。

101019千葉神社3



 * * *


ここはそういう方位に関する厄払いが得意分野の神社ですが、
もちろん病気などの厄払いもやっています。

私は、この日病院で検査をした帰り道。
友人も癌の放射線治療の帰り。
もちろん、護摩を焚くようにお願いしてきましたよ。

しか~し、方法が珍しかったです。
木製の護摩もあんまりみないタイプ。


1)護摩?に人間の姿が印刷されていて、どこが悪いのか記入します。
  そして裏に名前を書き入れます。

2)箱に納めます

3)左側の柱へゆき、目を閉じながらさわり太陽のエネルギーを受け取ります

4)入り口の、ど真ん中にある、奇妙な門に行き
  自分の悪い部分を司る方位の神に参拝します。(写真の門の中にある柱部分ですね)

  101019千葉神社1

5)さらに次の柱へ行き、今度は月のエネルギーを受け取ります

6)お水を頂戴して、ゴクリ



はじめてのケースなので、友人と迷いつつ
ちょっと楽しんでしまいました。

この年齢になると、どこか故障するものですから
厄払いも悪くないな、と思いましたが、


……また行ったこともない神社をよく思い出したな、自分。笑
たまたま行ったら厄払いとか、うまい話でございました。
ただ、お守りだけは地縁のある彼女だけでいい感じがしたので
私は見送りましたが。

今回は、私ではなく彼女の方が本当に必要だったのではないかと
そんな感じがしました。

天之御中主神
ほっほっほ

生きる上で、欠かせぬことがある。
肉体、心、精神とどれをとっても相互に関係しておるものゆえ、
どれもないがしろにはできぬものじゃの…

ちょうどよき機会じゃ、己の肉体について
じっくりと向きあい出直すまでの点検にすればよかろう
点検のない車は走らぬぞ?
途中までじゃ

今は常にすべてにおいて、そのような時である
見直して、己の現実を確認し、そして次へと向かえば
次に何が足らぬのか、見定まる時期とも言える

ゆえに今は安息とも言えず
点検してじっくりすすめていくのもよかろう
どうせ、次はあるであろうが…ほっほっほ…



あらゆる人もまた同様である
この者のことだけでなく、
時に、物事が進まぬ事があるものじゃ
そのときに、したいことをすればよい

時間もなくできなかったこと。
休息、勉強、己にために使うのじゃ
次があるからこそ、今の自分がある
停滞とはそのような時期であり、
皆、経験するものであろう

そのことで自身喪失するよりも
より有益にやりたいことをするのがいいのではないかの?

人は人、人が何をしようと結局は己である
停滞を経験せずして、先はなかろう
そのための時期と思い、考えを深め
そして、学んだほうがいいのじゃ…

ダム湖の神社
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