見えない世界の不思議についてひたすら綴ります

天御中主尊
人生の結果は死後に分かるというのであれば
今、慌てなくてもいいのではないでしょうか


と、いう同じ問いを、別々の神に問いかけました。
本日は天御中主尊(お初~)です。
神々には個性もあり、別々の考えもお持ちのようで
答えがそれぞれに違っていて、興味深いです。


「よろしくお願いします」

『よいぞ…』

「今日は、死後自分のしてきたことの結果が明らかになるのであれば
 急ぐことはないのではないかというお題をいただいてきました」

『ははは、人の生き死にというのは、人から見たものであろう
 生きておるうちからでも、人のなすことには結果が伴い
 またその結果をどう受け止めるかで、
 人の生の流れというものは変わりゆくものじゃ…
 死後、死後、と申すから
 あの世のために、今、神々にどうするべきであるとか
 信仰がどうであるのかとか
 分からぬものには不安もあり
 それをうまく利用しようとするものも現れるであろう
 しかしとて、今ある生活そのものが人にとっては結果である
 死後に全てを委ねるというのは早計じゃな
 己に責任を持つということであれば
 今の生き方、生活そのものにも、責任を持つべきものじゃ…
 急ぐ、急がぬもまた自由
 そのものがどう生きるかはまこと自由じゃ…
 ゆくゆくはそれらのものにも転機は訪れる
 いやがうえにも己自身と生活、全てを見直し
 何が不足しておるか
 何をすべきか、自身で見返さなくてはならぬ
 機会は必ず来るものじゃ…
 そのときにこそ人は試され、向上の機会を与えられる
 自身で取り組むべき物事は、いつかやらねばならねばならぬ約束じゃ
 そうしてこそ、この地に生まれてこれたもの
 安穏とした暮らしは、この国の特権ではないぞ
 いわばその暮らしの中でやるべきことを
 持ってきておるものも多いはずじゃな
 自身が何を周囲へ還元できるのか
 日々、己の心を振り返り見つめることぞ
 答えはその中に見つかるものじゃ…』

「ありがとうございました」

天照大神
人生の結果は死後に分かるというのであれば
今、慌てなくてもいいのではないでしょうか

と、いう同じ問いを、別々の神に問いかけました。
本日は天照大神です。


『なんぞや…』

「本日、ひとつお伺いしたいことがあるのですか
 よろしいでしょうか?」

『よい…』

「死後に全て明らかになるということであるなら
 今、慌てる必要はないのでは?という問いをいただいてきました」

『ほほ、まあそうとも言える命題よ…
 人には分からぬ生のなりゆきもこちらから見れば
 明白な流れである…
 人が知らぬのは、それで良いことである
 先を知れば、人は行く末に不当な案じを持ち
 時には先に進めぬ
 またときには、明らかにされた結果に頼り
 自身のするべき努力を怠ることもあろう…
 人はそれで良いのだ…
 そち自身の今後のあらかたの方向は選択し終えた
 もうすでに軌道にのり、進んでおるものじゃ
 あとは現実での足元をより強固にし、
 この世界からはぐれることのないよう、深く根を下ろすばかり
 子というのは、根を下ろさざるを得ない状況を時につくる
 人しても責任、愛情、しがらみ
 全てが世界に根を下ろし、生きてゆくための理由の一つともなる
 まして、今のこの時代ともあれば、それなりのものたちが迎えられ
 世は様変わりするものじゃ…
 何も変わらぬという世界はないぞ…
 根を下ろし、しばしはその結果も見えにくい
 だが、確実に事は進んでおる
 もう種まきもおわり、根も生えた
 なりゆきを見るばかりよの
 とはいえ、努力は怠らぬよう
 そして、常に自身の心に曇りがないか、日々確かめるべきじゃ…』

「よく思います
 私はコレでいいのか、間違ったことはしていないのかと」

『ならぬことはしておらぬはず
 全てはそちのとまどいからくるもの
 腹を据えて生きてゆく覚悟ができれば
 何もこのまま流れてゆく雲のような生き方を選択することはなくなる
 自身により深く根を張り、この世界に生きることじゃな
 そしてそのための準備は進んだ
 さて、いつ本人自身で足を踏み出すか…
 己の中の迷いが消えたときに明らかとなる』

「今後のことは、なかなかこう…明るいビジョンはないですね
 考え癖なのでしょうか…」

『諦めと申すは便利な言葉よ
 しなくてよいと自身に言っておるのと同じじゃ
 人はせっかく生まれておきながら
 向上する心を日々の生活の中に埋没させる
 しかしとて、本質は高みに登る性質そのものじゃな
 まぶしすぎる光りはときには苦にもなろうが
 もうまぶしすぎることはあるまい
 これまで長きにわたり研鑽した結果を今こうして顕わにしておるのじゃ
 したがって今は自分の心の中にあるとまどいやためらいを見つめ直し
 進むべき道へゆくことじゃな』

「今日はありがとうございました」

天鈿女命
人生の結果は死後に分かるというのであれば
今、慌てなくてもいいのではないでしょうか


と、いう同じ問いを、別々の神に問いかけました。
まずは天鈿女命から…。


『ほほ、人の世の中は様々なものに呼応し
 変化してゆくものじゃなあ
 人もまたそうであろう…
 波にもまれ、そして漂い、ときには自身を見失いながらも
 行き着く先は同じじゃな』

「…それは人生の結果は死後に分かるというのであれば
 慌てなくてもいいのでしょうか…という問いへの答えでしょうか?」

『さようじゃ…
 行き着く先は同じ、誰しもなあ
 その中で何を見、何を感じるかが
 人の生の醍醐味というものじゃ…
 慌てる必要はなかろうな
 人は知らずともそのやるべきことにたどり着く
 本人の意思に反することもあろうが、それもまた決めてきたものの内よ
 人がどう捉えようと、慌てようと、のんびりしていようと
 結果は変わらぬわ
 人が思う以上に、この世での法則は厳密に動く
 厳密さと申すは、その人生の中での出来事の多さや
 自身で選択できる余地の多さ・少なさとも関係するものじゃ
 それにしても、どうあがこうと結果やるべきことは減りはせぬわな
 人はなあ、心にゆとりがある方が視野が広がるのじゃ
 慌てずに楽しむ方がよいと申すのも
 己の心ひとつで、その視野が決まるからじゃ
 楽しみ、広い心で見渡せば、これまで見えてこなかった
 他の人の優しさや、様々なことが見えてくる
 生かされるということを感じ、
 自然と生きていることに感謝できるようになれば
 それだけ人として成長できるということじゃ
 精神世界においては、一部の真理を知り
 世界が色あせて見えることもあろうな
 しかし、それでも楽しむゆとりを持てば、人生は広がるのよ…
 決められた道のりは数多あれど
 それも都度、選択し、道のりを決めるは自身
 真に必要なものは変えられぬであろうが
 そこに至るまでは自由もある。
 窮屈な人生ではないぞ…
 いかに楽しんでゆけるかじゃな
 そちは楽しむということを知らぬ
 まことに人生を謳歌したいと願うならば
 心の趣くまま、あれこれやってみるのも良い経験じゃ…
 心ばかり年寄りのようじゃ』

「確かに年寄りというのは分かります
 諦めが早いともよく言われます」

『ゆとりを持て…
 その上で、楽しむことを覚えれば
 生きてるだけで多くの実りがあると気づくのじゃな
 生きるも死ぬも一つの現象、現れに過ぎぬ
 しかし、人は感情を持つ生き物じゃ
 なぜ感情を持つか…
 しかし、人がこの世界で人として生きる理由や、存在理由が隠れておるのよ』

「感情そのものが何かの鍵になっているということですか?」

『まことに、人の感情や思いというものの重さを知る日もこよう
 人はつとめて感情に注意を払うべきじゃな
 そうしてこそ見えてくるものもあろう…
 それが何かはそれぞれが己の目で見つけるものじゃ…』

「今日はありがとうございました」

天鈿女命
『構わぬ…』

「近頃、人との縁を考えると、本当に綿密に計画して
 生まれてきているのだな、と思うことがあります。
 順番が違っても、時期が代わっても合わないこともありました」

『ほほ、人の縁とはなあ
 元よりこの人らの世界で人が違いに学ぶため
 長いことかけて自分で計算してきた計画そのものよ
 人の縁あり、そしてそのものの成す仕事、
 社会への影響、どれをとっても
 それはあるがまま、そのもののうちにある計画である
 人によって善いこと、悪いことも
 それ自体を善い悪いと判断するのは
 実は表面的な考え、感情によるものじゃ
 苦難こそ、人を育てるのじゃなあ
 負け戦などという言葉もあれど、勝ち負けではない
 それにより、どのようなことを学び
 そして自ら成長できるかに尽きるものじゃな
 己自身を不幸であると言い続け、嘆くものほどまだまだ同じことは続く
 そこから視点を切り替え、今己自身はなにをそこから得るべきか
 そこまで考えられればよいがのう
 なかなかに人はそうはいかぬものじゃ
 そう認識し、己の身に降りかかるものを別の目でとらえるようになれば
 この先々の道のりをなんなく越えてゆけるであろうな
 まず何かあること自体が、己の人生の設計であり、
 それを何か見極める冷静さも必要じゃな
 向きあえぬ時に、人は心を病む
 もとより、その傾向のあるものもあれど
 自身で越えられるものでもあったろうよ
 世を騒がす事件を見、その人間は本来どうすればよかったのか
 そう考えることでも充分に学びとすることができる
 人に無関心ということは、自身や自身の成長にも無関心であるということよの
 世の現象を見て、そこから何を知り考えるか
 個が全体へと視点を広げることで
 これまで見えてこなかったものも見えてくるようになるものじゃ
 広い視点を持ち、考え、行動する
 この先々に己のことしか見えぬものには
 厳しい側面も多々あろう…
 そちは今の世の現状を見、何を考えるのかじゃ』

「難しいことでもありますね…
 ニュースなどの報道を通すと、そこには意図的に変えられた視点があり
 どこに自分の視点をおくべきか、と思うことがあります」

『それぞれの立場であろうな…
 どちらが善い、悪いではないとすれば
 どの視点から視ても得るものはあるということ
 個は全体の中に育ち、その中から独立してゆく
 そのことを忘れてしまうと、独善的になるのじゃ…
 周囲あっての自身じゃ
 周りに起こる事象を己のこととして考えてみるべきじゃな…
 今は己の周囲の問題は片づき、安穏とした時期になったゆえ、
 この先はどのような視野を持つか
 それがこの先のそち自身の器を広げるよき機会になろう…』

「今日はありがとうございました」

今日が人生最後の日だったなら
アップルのスティーブ・ジョブズ氏が
スタンフォード大学の卒業式典によせた祝辞は
ネットでもあちこちにアップされ、見たことがある人も多いだろうと思う。

どの話も、本当に胸を打つ話なのだが、
三つ目の話が、私は特に気に入っている。



「今日が人生最後の日だったなら」

今日が人生最後の日だったなら、今日やる予定の仕事を本当にやりたいと思うか?
今日が人生最後の日だったなら、この選択はするだろうか?
今日が人生最後の日だったなら、それでもケンカを続ける?
今日が人生最後の日だったなら、許せないと思っていた人にまだ憎しみを持つか?
今日が人生最後の日だったなら、まだ愛情のある演技を続けるのか?


今日が人生最後の日だったなら、と考えると
自分の小さなプライドや見栄で覆われた不必要な部分は、そぎ落とされ
本当に必要なものだけが残る。

毎日、この問いを自分に投げかけることで
安易なもの、必要ではないもの、やるべきではないことなどは
どんどん自分の人生から、ふるい落とされていくことだろう。

正しいも、間違いもなく
自分自身で答えを掴むことが一番大事なことなのだから

死はいつも隣合わせであるということを、忘れてしまっているからこそ
時間の無駄使いができる。
でも、その反対に、いつも死が隣にいると意識すると
なにも無駄にはできないはずなのだ。


だから、私は困ったとき、悶々としているときには、自分に問う

「今日が人生最後の日だったなら、どうするか?」と。

天鈿女命
『よろしいぞ…』

「今は不安な時代になり、この先自分の先を知りたいという人が増えている
 そんな感じがします」

『人として生きる以上、それなりの覚悟をして生まれてくるものじゃな
 先を知りたいと思うのであれば、その気持ちは否定はせぬ
 いずれにしても行動するのは人自身じゃ
 いくら先を見ようとも、誰かが代わりに動いてはくれぬ
 先を知りたいとは、
 人は不安を持ったとき解放されるための、希望が欲しいからよの
 希望があるゆえ、人はどうとも動く力を得られる
 希望なくしては人は暗澹とした境涯の中で己を見失うものよの
 いかに自身で己の先々希望を持つか
 本来希望は与えられるものではないが
 方便として仮に与えるだけでも、人は動き結果は変わってゆくのじゃ
 それゆえに絶対的な先読みはありえないものじゃ
 遠い将来なら、動くことでどんどん変化してゆく…
 人生がゆとりをもって設計されてあるのは
 人の人生にそれ以上の展開がある所以である。
 人はそれ自身に与えられた機会を生かし
 より高く己を成長させることができるのか
 一人ひとりの挑戦であるな
 先読みはならぬとは言わぬ
 それをどう受け止めてどう行動し、どのような結果を生むかが
 もっとも肝要なことであり、
 そこに至るまでの道のりは自由じゃな
 ひとつの標として、かかわるものならば
 そのものが判断をすればよろしい。
 ただし、己のすべてをなげうつような者は
 己自身で考えることを優先させるべきじゃな
 人が弱いのは重々承知のこと
 ゆえに大きくなれる機会が重要になるのじゃ
 弱くはかないものでも、限りなく成長することのできる可能性を持つ
 その可能性がいかなるものか
 それぞれの手で試してみるものよかろうな』

「ありがとうございました」

天使がきました。6
2月27日のことだった。

仕事中に受け取ってしまった相手の存在のエネルギーに対し
どう処理をしていくか、考えていた。
自分のものではない、不安などの感情をときおり受けとる。
一晩寝れば元に戻るものの
そういう対処もいかがなものかと思っていたのだ。
要は、自分自分の感情の浄化に働きかける石ではなく
換気扇のようにいきおい良く放出するのを手伝ってくれる石
それがほしい。

27日にダンビュライトをふとしたサイトで見かけて
「絶対にコレだ。確信がある」
そう思い立った。

それからは、あっちこっちのサイトを探しまくった。
これまでダンビュライトは知ってはいたものの
関心がなく、売っているサイトもあまりチェックしていなかったのだ。

「ん~、これも違う…。こっちのも…」

写真を見ているだけでも、自分がつけたいのか
つけたくないのかそのぐらいはわかる
本当にどれもこれも、違うのだ…

何が違うのか説明しろと言われても分からない
ただ、違うのだ。

「ダメだ。まったく見つからない…」

「ん?アクセではなく鉱物を扱う店はどうだろう」

すぐにヒットした。
コレコレコレコレ~
一気に気持ちがわき上がって、27日中に即購入
さすがに鉱物屋で買ったものなので、
これから工房へ回さないといけないが、そんなのは構わない。

買ったダンビュライトは宮崎県土呂久鉱山のものだ。
もうすでに採掘は終わっている。
幻の一品なのだ。
これを見た瞬間、地理的にどこのものなのか調べたくなり、すぐにGoogle

……おおおう…日本神界のお膝元 高千穂町ではないか…


そして、工房へ出した石はペンダントに変身し、
3月20日、手元に届く。すばらしい仕上がり。
表裏、左右、上下。この方向がこの石の正位置だな、というものがあったが
プロに任せるとメールし、お任せしたら、思っていた通りに仕上がってきた。

天使がきました。5
諸々動き出して4日目
この日は珍しくセッションの予約が一件もなく、のんびりしていた。
が、実は気になることがあった。
会社で一緒に仕事をしているYさんが、なにか話があるらしい。

退社後、飲みに出かけた。
そこで聞いた話は、Yさんは半年後に退社をする予定で
元ボスである会長には、話を通してあるとのこと。
本気なんだろう。

実は私のいる会社は合併しているので
元A社、元B社という感じで別々に仕事をしている。
なので、私の上にあたるYさんと会長が、すでに辞意を表明しているとなると
定期物を除いては、私自身の仕事が自動的になくなる。

それを見越して、早めに私に辞意を伝えてきたのだ。
要は、私もその時期、退職をすることになるだろう

ん…ホントに人生の転機が来たなと思う。
おそらくYさんは半年後ではなく、年内一杯になる予感があるが
私も年内には身の振り方を考えなくてはいけなくなった。


ますます…嫌でも…先日の計画書が頭をよぎる

計画書には、12月に退社と書いてあるのだ…


時期を設定されてしまった。いやがうえにも。

ジ「もう、あとに引けなくなりましたね」

うれしそうに言わんでくれ。


どうなるんだ。私よ。

天使がきました。4
そして、私は自分に取り組む時間が出来たので
それぞれのルートについて考えた。

ルートBはリスクが高い上に、これでないと行けないと思いこんだものらしい
最悪の場合に、やらなくてはいけない道であり、確定ではない。

ルートAは、あのときの私とは違う自分なら、
もしかしたら通る方法があるのかもしれない。

でもまた失敗したら、あの廃人同様の生活に戻る可能性もある。
むしろ、そうなったらこれまでにない最悪の事態だ…

その上、彼女は本当に天使だろうな。タヌキとかじゃないだろうな
と、懲りもなく疑念のまなざしを向ける。
しれっと、笑っている。

さあ、ここでまたネットの大天使カードが活躍ですよ
最初は、「言いたいことをどうぞ」
【仕事の転機】のカードが出た。仕事の、と書いてあるがそれだけではないような。
人生もしくは紫音仕事もからんでの、人生の転機だ

次は、「ホントにジョフィエルでしょうね?」
あらっ

ジョフィエルカード


 <綺麗な絵~

 <いかん、いかん、何ほだされてるんだ


やるべきなんだろうな…
とはいうものの、失敗したら責任は誰が取るのだ?と
心で訴えつつ、ジョフィエルの言っていたことに着手してみる。

…書くだけで意外と苦痛だ。
まるでゴキブリを指でつまんで、色を塗れと言われるのに似ている。

一応、ルートAについての計画図を立ててみるが
実際のところ、いけるとは思わないし正直、乗り気ではない。
非常に気が重い。


ジ「さきほど、書き上げたものを見ましたよ
  それでは、これからその度ごとに、やらなくてはいけないことがありますから
  ちゃんと私についてきてくださいね」

紫「分かった」

ジ「今日は、やけに素直ですね」

紫「 ヽ(`Д´)ノ じゃあ、また悪い子になるけど?」

レミちゃんにもジョフィエルにも“今日は”やけに素直だと言われる。
私の事、一体どんな子だと思ってるんだ。

さて、これからどうなることやら…

天使がきました。3
おおざっぱに言われていても
私には何のことだか、とてもよく分かる。
以前、ヒプノセラピーでインナーチャイルドに関する癒しは受けた。
また2年がかりでようやく昇華できたことも
最近のブログに書いた。

今回は別のことなのだ。

私がかつて行こうとしていた道をルートAとすると、
そこが通行止めになっていて
どうやってもそこを通ることができずに絶望して
人生の数年を、まるで廃人のように過ごし、棒に振ったことがある。
今は、前向きにルートBを自分で開拓し、
通行止めになっていた道を回避して進もうとしてたところだ。
ただ、そのルートも困難すぎて
すでに“本当に抜けきれるのか”疑問はあった。

ジョフィエルは、そのルートBは間違いであるという。
ルートBは破棄して、ルートAを抜ける方法を考えようというのだ。

私が廃人同様に暮らしていたことなんか知らないくせに
簡単に言うなと、軽くイラついた。
心の傷をわざわざ開封しにきた天使だ。

でもそれでも、なんとなく変えなくてはいけない時期なのは分かる。

ここ数週間、実は部屋の中の不要品を片っ端から
各ボランティア団体に寄付したり
ブランド衣料をオークションで売って、送料に充てたり
急に、使わなくなった石の引き取り先を探したり
自分でも、急激にこれまで自分の生活を変えるべく
なにかしているような気がしているのはわかっていた。
衣類はとくに酷くて、これまで着ていたものがなにもかも
好みではないような感覚になり、ばっさりとボランティアへ送ったのだ。

そんなこんなを思い出しつつ、ぼそぼそと会話を続けてみる。
色々と明らかになってきていた。
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