見えない世界の不思議についてひたすら綴ります

それは夢から始まった
夜は大抵、ぐっすり就寝なのだが
明晰な夢を伴って、とにかく何度もうなされるとき
ふと、夢の中で「これは夢である」と気がつく。

夢であると気がついた時点で、まず夢から出る方法を考える。
大声を出して、目を覚ましたり
夢の中で、違うストーリーを書き換えて
相手に延々と続けると、ぷつ…と夢は途切れ、目を覚ますことができる。

うなされるときには、すぐにほかの何かの干渉の受けてると分かるので
目を覚ました時点で、原因をすぐに探り始める。
意外すぎる羽毛布団であったり、合わない石であったり
霊であったり、念程度であったり様々だ。

霊のときには、夢の内容で悪質か、やや悪質か
微妙に異なってくる。笑

先日見た、夢の話


私は、子供の頃、よくお世話になったおじいさん先生の家へいき
そこの庭木を眺めていた。
ふと振り返ると、今いたところすべては深い藪に覆われている。
藪の中の枯れ草、すべてにびっしりと毒々しい色の毛虫がついていた。
私は出られなくなった。
無理に突破しようとすると、毛虫に触れ
さらには、背中に落ち込んできた…

さすがにうなされていると、夢であることに気がつく。

そうなると、やることはひとつだ。
夢の中で意識的に、宇宙服のような防護服を着、
強力な殺虫剤を片っ端から毛虫にかけて、殺していった。
そんなことをしていたら、あっという間に夢から出れたのだ。
向こうが送ってきた映像を、逆に意味のないものに書き換えると夢は終わってしまう。

こういうときにはなんとしても、一旦夢を終了させないと
助けも呼べないし、冷静に周囲の判断もできない。
まずは夢から脱出だ。


そのときに家に訪問してきたのは
クライアントに用事があってやってきた人たち。
それも30人以上いただろう…。
伝えたいことがあったのだ。
いくつかの映像と、言葉を残していく。

今回は天使がふたりがかりで、せき止めに入っているのが見えた。
それからも、やたらに映像だけは送られてくるものの
優先順位は睡眠だったので就寝した。

しかし、翌日彼らは知人のところへ向かったのであった…。
私が要求を飲まなかったために。

彼らは知人にも同じことを告げた。
怒る理由は納得できる。私も同じことをされたら怒るに決まっている。


ちょっと無念なのは、私ごときのしょっぽいチャネラーのところなら
返り討ちに遭うこともなければ、脅せばいうことを聞くと思われた点だ。
だから、次なる接触地点に知人が…

でも、本当に難しいのは霊=悪いものなのではなく
ときには、人間側の認識不足で霊障が起こるということ。
触らぬ神に祟りなしというのは、ホントのことなのだから。

天鈿女命
「昨年はよく考えてみればそれほど悪くはない、
 世間に流されず不安のない年だったなあと思います。これまでの人生に比べて…」

『ほほ、それはよきことよの
 人の生には善いことも、善くないこともそれぞれ起こる
 これは避けられぬこと
 この世界を成り立たせるための数多の法則はそれぞれの作用を
 お互いに影響しあい、
 混沌とした中でこの世を作り出す
 自身の気持ち次第なのじゃ…
 善いことに焦点を当てて生きるか
 善くないことに焦点を当てて生きるか
 いずれにしても同じ法則の中で生きるものよ
 そのいずれを選び、運に乗るかはそのものの腕のみせどころじゃ
 善いことに焦点を当てるというのは、自身の人生に運を呼び込むものになる
 自身をその流れに同調させて、運気に乗るということ
 どうしてどうして悪しきことに意識を合わせ
 自分の生に悪いことを呼び込むのかじゃ…
 しかしとて悪しきことというても
 表面的なことでおわりはせぬ
 そこから何を得て、大きくなるかが肝要じゃな』

「一見なにもないように見え、それを嘆くこともありましたが
 よく考えれば悪いことにはなっていない。
 何も心配することがなくなっていると、昨日の問答で気がつきました。
 やっぱり常に何がない…と言い続けていると暗い気分になりますが、
 心配することがなくなったと思うと、気分も変わります」

『そうじゃな…
 人の生来の併せ持った性質は
 思いの力で、現実を変えてゆけるということじゃな
 そのコツはな、自分の気持ちをどこに置くのかよ
 全く同じ条件下の二人の人間が、その状況を嘆くかありがたがるかで
 今後ががらりと変わるもの
 そのことはこれまでに多くのものに、言われてきたであろう
 なかなか人というのは学習せぬもの…
 こうしてまたひとつ自身への信頼を取り戻す方法を知りえてゆくだけじゃ
 数多のものらが今、このときに人らへの影響を与えんとしておろう…
 それこそ、どこの馬の骨ともしれんものから
 古来よりおる魔物のようなものまで様々じゃな
 決して、ほかのものがそのもの自身の代わりに救ってはくれぬ
 ほかのものの甘言など不要なものじゃ
 だまし、だまされ、人の世に混乱を起こさんとすものよの
 どんどん増えておるのも知っておろう…
 人が自らの成す善いことも悪しきことも、
 誰も代わってはくれぬと知っておれば、そういうことにはならぬはずじゃ
 神界は冷たい、口出しだけなぞと思っていても構わぬ
 われらとて代わって行うことはないのよ
 そのものの人生は、そのもの限りじゃ…
 自立というものは己の足でしかりと立ち、
 その手を取りあえる者同士で生きることに他ならぬ
 いつまでも、甘えん坊の様に座ったまま
 抱えてくれる親を待つ子であってはならぬのじゃ…
 親は子を思えばこそのこと
 今しばらくこの世も変わろうとするきざしがあれど
 座ったまま親を待つより、早く立ち歩けるように…そのことばかりじゃな』

すぴりちゅある?
スピリチュアルに関心を持つ、ということそのものは
自分を見つめ直し、今の人生を生きやすくしていく。
ひいては、自分自身の力で向上していく力になる。

高次の存在は、
自分たち自身が自分たちで努力をし、
成長してゆくために必要なことを与えてくれる。
それはチャンスだったり、癒しだったり、言葉だったりと
さまざまだろう。

でも勘違いしてはいけないこと

それは、高次の存在になにか聞いたりするとき
それは本当に自分で努力していくためのものなのか?

いかにもスピっぽい言葉で綴られた質問でも
残念ながら、行間の感情は読める

「どうすればいいか詳しく聞いて欲しい」

自分自身の感を信じて、人生を切り開く覚悟で聞くのなら
もちろん引き受ける。
でも、その行間からは
「もっともっと仕事が欲しい、地位がほしい、お金もほしい
 そのヒントをそのまま仕事にすればアタルはず。だから聞きたいの!」

言葉と気持ちがまったく裏腹になってしまうと
どんなに言葉を尽くしても、理解はしてもらえないだろう。
だから、お断りをする。

だって、それはすぴりちゅあるではないから。
中学生がこっくりさんにテストの答えを聞くのと
何が違うのだろうか?
地位や仕事、お金が欲しいという目的自体、物質を求めることであり
精神性の向上を目指すすぴりちゅあるとは別物だ。

なぜか、その手の引き受けないほうがいい仕事だけは
メールを見た瞬間から、重い気持ちになったり
相手の情報が見えたりする。

なにかが見えるのは、そのヒントによって
質問の本来の意図がクリアになるとき。
重い気分になるのは、相手の後ろになにかがいるとき。
だいたいパターンができてきた。

残念ながら、霊やそのほかのおかしな存在を呼ぶのは
本人にも原因がある。
その原因である、「聞いてラクをしよう」という思考がある限り
また呼んでしまうだろう。

私には全部まかなえるほどの能力があるわけではなく
結局、断る以外にないときがある。

何も言わずに…。

羽毛布団事件
昨シーズン終わり頃だったろうか。
羽根布団から、羽毛布団を買い換えた。
しかし…新品の羽毛布団は意外な匂いがするもので、
匂いが抜けるまで、しばらく干したりなんだかんだで出番は少なかった。

そして今回の冬。買い換えた羽毛布団を最初から出したのだ…。

少し匂いはあるものの、気になるほどでもない。
やれやれ、やっぱり軽いほうがいいに決まってるよなあ~と
ぬくぬくしながら就寝。


…しようと思った…のに…


紫「…だめだ。さっぱり寝れない」


具体的にどうこうというのは全くない…
うなされて起きるわけじゃない、霊でもない…
言葉にも映像にもならない、わだかまった感覚。


紫「カフェインの摂取によるものということにしよう」


翌日は、コーヒーも日本茶も午後から控えて
万全の体制で就寝に挑んだ。


紫「…だめだ」


そんなこんなで、寝つきが悪い生活3日目
思いたくはなかったが、いよいよ疑う日がきた。
この布団に変えてからオカシイのだ…

まあ、中身は動物だったし、昨年はほとんど使ってない。
可能性としてはあり得ることだ。

しかし、布団の中身をどうすればいい?
会話して成仏してもらうとか?笑
天使に布団の浄化をお願いするとか?笑


紫「そうそう、浄化といえばアレがあるじゃん!!やってみるか」


着物に香をたきしめる平安人の如く
ホワイトセージを布団にたきしめてみる。


紫「…まあ、効果あるかわかんないけど、これで寝てみるか…」


即寝した。

これまでホワイトセージの効果は、小学生のおまじない程度にしか思っていなかったが
この事件で信用することにした。
それからというもの、玄関口付近の視線を感じる場所で焚いてみたり
石の浄化につかってみたりと、なかなか活躍中である。

それにしても、羽毛布団や皮革製品など
そういったものには普段は、関心が向かないことも多い。

でも、やっぱり殺されていく動物の気持ちはあるんだろう。
この布団は大事に使わせてもらいます。

天鈿女命
『よろしいぞ』

「多次元的に存在する、というのはどういうことなのか
 伺えればと思いますが…」

『まあ、いかに見えぬ存在の仕組みについて理解できるかにつきるわな
 いくら語ったところで、
 感覚的に理解できぬと納得するような答えにならぬものじゃな
 多次元的と申しても、この世界に生きる人らには理解しにくい
 様々な階層を横断して存在するということは体を持つもつものには
 わからぬのじゃなあ
 真、このように意識だけ半分こちらによこしておるような手法でも
 あらゆる階層は横切れぬものじゃ…
 あえて言えば、重さの異なるいくつもの水の層が
 一つに重なり、そこをくぐるようなものじゃ
 一つひとつの水の中では浮遊感も違えば匂いも感覚もまた異なり
 その存在する場所もまた異なるものじゃ』

「では、一番下の水の層とは?」

『さよう、重さをもつ水の層は下へと溜まる
 その階層にはそれなりの重さを持つ波動の水が固まるのじゃ
 なにがしかの理由でその一部を一番上の階層においたとて
 すぐに下へと沈んでゆくものとなる
 相通じ、なじむもの同士が同じ階層を形成する
 しかし、元はみな同じ水
 目で見ようにも同じものにしか見えぬものじゃなあ
 だから一番下の階層で固有の振動数を持ち
 目に見えるものとして暮らす人には見えぬのじゃ
 もとより、これらの仕組みは生きておるうちから気にせんでも
 死んだらますます学ぶ世界のあるものじゃ
 今のうちは他にも知ることがあろうな
 まあよい…
 興味を持つということは、己がなぜ知りたいと思っておるのか
 動機付けもまた重要じゃ
 なにゆえ、このようなことが知りたくて幾日も考えておるのか
 そこにも答えはあろうな』

「う~ん、霊のことなどは知らないがゆえに、怖いと思うときがあります」

『自らの起源がどこにあるのか
 そもそもみな大した違いはない
 しかし時折、異質なものが混じり込み
 どうにもこうにもなじめんものもおるわ
 まあよいのじゃ
 みな忘れがちであるが生きてるうちにできることには
 幸せなこともたくさんあろう
 それこそ、ここでしか経験できぬことよなあ
 修行修行とつらいことばかりに目を向けずに
 楽しむことも同じだけ必要じゃ…
 どっちが欠けても人は偏る
 ならば、均衡を保つためでもよい
 同じだけの楽しみを取り入れることじゃな』

豊受の神
『ほほ、違えることを恐れておってはならぬがまあよろかうよ、ほほ』

「よろしくお願いします。
 人が生まれて、見守る守護霊がいて、そして死ぬ
 それを繰り返して学ぶ仕組み、そのものはどうして存在するのでしょうか…
 よくよく考えるととても不思議に思います」

『ほほ、それらの物事はなあ、人にはたいがいのことは秘されておるゆえ
 一部しか明るみには出ぬものじゃ
 知っておるものもわずかな情報のみとなる
 この仕組みはなあ、先々を見据えて作られるものあり
 人らがその上で経験し、新しく変わりゆく仕組みもありじゃ
 こうあるべきという理想の仕組みはない
 都度、変化してきたのじゃ…
 仕組みと申すもの、
 それらは人らを高みへと押し上げる学びの仕組みとなるべきものであったが
 いつしか他のものらの介入もあり、
 仕組みは機能しなくなった部分もあったのじゃなあ』

「たとえば、どのような部分でしょうか」

『人らの魂が元に戻らぬまま留まり
 異次元が生まれ、異次元のものが人らに影響を与え
 その繰り返すはざまはまりこむものも出てくる
 とはいえ、本人の心がけや修行次第で
 そのような罠など造作もないこととなるものよの』

「元からあった仕組みへと修正される予定はあるのでしょうか?」

『ほ、ない。
 しかしじゃ…世の移り変わりにより、あらゆる物事の様相が変わるように
 それらも自ずと変化し変わりゆくものとなろうな…
 従って人らの仕事の一部も変化し、消えゆく仕事も出よう
 あらゆる世相は表面的な物事に留まらず
 かならずその因となるものがあるものじゃ…
 その因をひもとき集め、分析することで
 今、真に必要な物事の真相が理解できるもの
 だれそれの本を読んだ、ああ聞いた、こう言われたではない。
 自らの知るところを見つめ直し
 自らで答えを探すことが、正解となる標にたどり着く近道となろうな。
 人が人に答えは聞けぬ、人の内に答えがあるゆえになあ
 人らが学びと申すのは、大抵が人から学び、
 情報を覚えるということだけじゃ
 真の学びとは、自ら思考し考えることにある。
 ときには間違えようが、そもそも簡単に解けるものではないゆえ
 過ちを恐れずに、己の答えを探すとよい…』

人生には波もある
どんな人間でも、いい時と悪い時というのは訪れる。
それは過去生での行いから比較的ラクチンな人生にしてもらってきた人でも
たっぷりと宿題を抱えてきた人でも、
同様にその波はやってくる。

これまでそれほどの苦労も知らずに過ごしてきたら
突然の失業や、家庭の崩壊に
人生が終わったようなショックを受けるかも知れない。

でも同じような状況に陥る人は、
ほかにもたっくさんいるのだ。
今、何かに困っていることがあれば
それが自分だけなのか考えてみると分かる。

ならば、必ず通り抜けるルートがあるはずなのだ。
そのルートは、冷静になって自分の状況を観察しないと
なかなか見えてこないだろう。
渦中にいるときに、冷静になるのはなかなか難しい。
だから、話を聞いてルートを探す。

でもそのルートを歩いてゆくのは、
その人自身の仕事
私が代わりには、歩けない。

今、人生の低調期にいる、と感じたら
大きな動きはせず、
時期がやってきたときにすぐに動けるように
たくさんのことを学び、力をつけ
人脈を広げ、準備をする時間にあてる。

どうしたって低調期はあるのだから
それを無視して徒労に終わり、疲れ果てるよりは
そのときに、できることを地味に毎日積み重ねること。
それが後々、最も大きな結果を出す方法だ。

私もまだ、結果を出せたと胸を張って言えるような状況でもないが
それでも、人生最悪の時期は通り抜けてきた。

どんな苦境に陥っていても、大抵はどうにかなる。
それが人生のシナリオでなければ、ルートは見つかる。

だから、どうして自分ばかりこんな不幸に…と嘆くヒマがあったら
今、できること
今、自分に与えられているものを見直して
人生の棚卸しをしてみると現状が見えてくる。

たぶん、その作業のあとに、ひょっこりルートが見えてくる。

豊受の神
「近頃、スピリチュアルブームから能力開発ブームに移行しているようで
 あちこちで妙なことになっている話が舞い込んできます…」

『ほ、そのもののうちじゃなあ
 みせびらかしたいものもおれば、
 自身の自分への評価をこのような世界におきたがるものもおるわ
 しかしとて、かのようなものらはそれなりの報いはあるはずじゃなあ
 力を持たぬものが、手を出したとて変わらぬ
 報復を受けることもあろう…
 しかし、そうして人は覚えるものじゃ
 幾度繰り返し、この世界で名をあげようと
 約束なきものはかなわぬ
 そうしたところで実にはならぬものじゃなあ
 そうした者らのこの先々の成り行きをみておるのもよかろう
 さすれば己への戒めにもなり
 人がどう道を誤るのか、今後の参考にもなるものじゃ
 無駄はなかろう…ほほ』

「能力開発に気を奪われて大事な家族を犠牲にしているのを見ると
 悲しいことと本当に思います。
 やるせないですね…」

『己自身で選んだゆえ、それは仕方あるまい
 ただ、縁あるものは訪れるはずじゃな
 否と知っておるものなら言ってもよかろう
 伸びるものは導き手が現れるはずじゃ…
 無駄なことはないと言うたように
 そち自身もこの力を無駄にしてはおらんはずじゃ…
 問われれば答えるのもよい
 そうして人らが人自身で成長するのを見守るのが我らの役目じゃ…
 ゆえに我らもこうして対話し、人の子を育てるのも
 時には仕方なしよの、ほほほ』

「この先の世界は、そういう世界になるのでしょうね…
 ずっと日本の神々はこのままおられるのでしょうか」

『無論じゃ、ほほ
 我らは我らの仕事があらん
 この惑星とともに、やらねばならんことありきじゃ
 人らは人、我らは我ら
 それぞれの役割や立場があり、別の世界に住まうものじゃ
 人らが変わろうと我らが変わるわけではないぞ
 今後の世界がうまくすれば、我らの仕事も増えようなあ、ほほ
 楽しみであるか、否かはそのもの自身となるが
 世界の有り様が己自身の有り様を変え
 一人ひとりの変化が世界に変化を投げかけるのを見るのも
 悪くなかろうの…』

映画からのヒント
映画、プロフェシーの中でリチャード・ギアは
モスマンという実体のない怪物を追っている。

予言をする怪しげな存在について、
映画の中でわかりやすい会話をしていたのでピックアップしてみた。



ギ「…実体のない存在が、全て見通してきたんだ」

男「神のように予言をしたのかね?で、的中した」

ギ「名前はインドリッド・コールド」

男「関わったものの感性によって、受け止め方は様々だ
  声や光、人間や怪物、もし友人が神だと思っているのなら
  大きな間違いだ」


ギ「でも、見通していたんですよ」

男「ほら、あれを見てみろ
  あそこで窓を拭いている男には、
  10ブロック先で起こった交通事故も見通せるだろう。
  だからといって、神じゃない
  それにとくに賢いわけじゃない
  高いところにいるから、地上の我々より遠くが見えるだけだ」


ギ「もし、その存在が我々人間より高等なものだとしたら
  なぜ我々に意図を告げないのでしょう」

男「君はゴキブリより高等だが、ゴキブリに自分を説明しようとしたか?
  はっ」


高次の存在といえば、誰もが良いものを想像するだろうけど
実際には、こうだ。
幽霊だって、キツネだって一応、人間よりは上の次元にいる。
この会話と同じことだ。
凄く分かりやすい表現だったので、ご紹介。

過去生で訪ねたお寺
うちの近所に住む知人のTさんは、同じ社の本社に勤務している。
こんなに近くに住んでいることを知ったのは数ヶ月前で、
それから、Tさんに会うたびごとに、過去生の断片が飛び込んできていた。

Tさんは、過去生で僧侶だった時代がある。

その生では、法事や仏事という物事よりも
教典やお経などを写経し、保存していく仕事をしているのが見え、
事務官のように、仕事をしては勉強をし…という様子だった。
一番、はっきり見える光景は、台に載せた何かを
うやうやしく寺院の建物の中へ運び、
入って左手へそれを持って行く場面だ。
寺院のその建物へは、正面の階段を使わず、
左手の奥にある階段を使ってあがり、ぐるりと廊下を回ってくる。

そして…Tさんは今生でも頭がいいらしい。少なくとも出身大学を見ると…。笑
また男性にしては珍しいぐらいに、とてもきれいな字を書く。
当時の名は「聡徳(そうとく)」と言った。

どのあたりの寺院にいたか、なんとなく探ろうとしたことがあったが
キーワードとして「高野山」が出るものの、
実際に自分の見た光景は、高野山にはなく
いったい、なんのキーワードなのか不明なままになっていた。

ところが、先日突然に
「やっぱり、初対面のときにTさんの顔を知ってる感じがしたのは
 過去生で会ってる」
と電気が走ったかのようにひらめいてしまった。

そこで、時間をかけて探ろうとした…

Tさんのいた寺院は、ひとつではなく
複数の寺院へ回り、なにかの仕事をしている様子…

室生寺(むろうじ)?

間違いない。室生寺ってはっきり出てくる
そんな寺、ホントにあるのか…?

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あった…
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女人高野山「室生寺」
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「マジであったよ…」
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さらに画像を見ながら、自分の脳内映像と比較していくと
自分の見た建物が出てきた。
 ▼
「これこれこれ~~~~」


さらに見ていくと、案の定、過去生の自分が絶望して座り込んだ石段が…
「この寺だったか…」

お遍路だけではなく、10年余りの流浪生活の中で
奈良の女人高野山にも足を運んでいたようだ…

今はないようだけど、当時は寺の境内の近くに
僧坊という質素な長屋のようなものがあった。
そして、参拝しにきた人が泊まれる簡易棟のようなものも近くにあったのだ。

私は、その建物の近くで聡徳に会っている。
自分の両肩に手を置いて(セクハラかと思った。笑)
ゆっくりなにかを呟いて、励まされていた。

こんな暖かい記憶がよみがえってきた今、
Tさんがスーパーで半額シールのついたお総菜を大人買いしているのを見ても
何も言うまい。
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