見えない世界の不思議についてひたすら綴ります

タケミカヅチノカミ(たぶん)
自身の心の平安の目で世を見れば
同じはずの場所も、同じはずの物事も全く異なって見えよう

鮮やかで優しく、人々の魂に光が灯り
悪しき物事を起こす者らですら、かくある成長の途上であると
認めることができる

全てを穏やかな眼で見渡し、己の内にある平安と
他の事象を融合させ、世を認識してゆく…

世が穏やかな光の内にあると、
繰り返し認識すればするほどに、確実にそのような機会に恵まれてゆく

よりたくさんの機会を持って確信してゆくだろう

ただし、真逆も起こる

この世をいまいましく、悪意に満ちていると確信し
そのように見ておっては
ますますそのような部分にのみ、己の生活を送ることとなる

心の内が現実を変えるのは、
心の目がどう世界を取れてゆくかということになる

此度の新しい環境を手中にして(※私個人のことのようです)
心の内がすっかりと穏やかになったのではないか
ならば、世もまた違って見えるものだ

さあ、とくと見てみるがよい…

ヤマトタケルノミコト
人の人生には当然、転機もある

人の心ひとつで良いも悪いも感じるものだ
だがその転機は必ず人の生きる道に
大きな力を与え、適切な方向へと導く

良し悪しを決めるのは人の心と申した通り
実際に訪れる転機には両方の側面が必ずある

なぜ、起こったのか…と考えずともよい
それはなるべくしてなったものよ

人がなぜ生まれ、なぜ死ぬのかと等しい問いぞ
その問いは生きているぬしらにとり、何の意味があろう

生まれるも、生きる道の中で新しい機会を得るも
その人生を終えようと、ただひとつ…

その真実残るはただひとつ、生きることをした経験のみとなる

転機を生かせ
その転機には必ず大きな学びがあり
今後生きるための糧があるもの…

ヤマトタケルノミコト
日は生まれ、その日に沈む…

その繰り返しの中に人は生を感じる
日の動きの中に、己がひとつの生くるものとして
その命を感じることができる

日夜が逆転するより、日とともに在れその繰り返しの中、
歩調を合わせることで命が蘇り
命がこの生を繰り返すことを知る

朝の光の中で、それに気づくだろう

己が生あるものと知り、生きている実感
己自身の手で、手に入るならばそれをよしとするものだ
他の何にも頼らずに己が生きていることを知る

無駄な殺生、無駄な行い、浪費
人は様々を通して生きる実感を得ようとする
そこにあるのは、破壊とむなしさばかりよ…

生きている実感は自然と呼吸を合わせることで生まれてくる

皆が大いなるひとつの命であると感じるに
これほど豊かなものもなかろう

明るいときに活動し、夜は休む
この繰り返しの中にこそ
人の生の秘密がそっくりと縮図のようにあるではないか…

おもしろいものだ…実に

さてさて、ひとときの余裕があれば
そこから何が得られ、考えられるのか
それを試してみればよい

ヤマトタケルノミコト
いつしか人の心の内に生まれる喜び…

それは自身のものでなくば、泡のように消えてしまう
人から与えられる喜びは
その中でさらにさらにと、人は願ってしまうものなのだ

だが、その本心は飢えている
飢えているからこそ、人にもっと、と願う

もしその喜びが自身に根ざした己のものであり
自身が己の力で生きる中で自ら勝ち得た喜びとするなら
飢えることなく、減ることも、他と比較することもない
絶対的な喜びそのもので在り続ける

真に強い者はそれを己の力で手に入れられる
そして、その喜びを知るものだ

相対しての喜びなど、あって何になるというのか…
人には人だけの喜びの形があって良いというに。

ならばその喜びを大切に育ててゆけ…

一生は思うよりも短い

そのうちのどれだけの時を
喜びと在ったか
苦しみと在ったか
嘆きと在ったか

人の心次第ではないか…

ヤマトタケルノミコト
一歩、踏み出せば見えるものも変わる
一歩、踏み出せば考えも変わる

また一歩、また一歩とその繰り返しが
いつしか大きな力となり己を変える

大きく変えようと思うな…
人の心には大きな負荷を知らずと受け入れるのを
やめることがある

己を守るために、いつしか不可能であるという判断をする

だが、一歩ならできるだろう

一歩、一歩とつづけてゆくうちに世界は変わる
そうやって着実に己を研ぎ澄ますうち
変えてきた事柄が自身への信頼を培い
力となる。

心を決めたら取り掛かるものは
まずほんの一歩でよいのだ…
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